関空再生(上)

「協力できたのに…」連携不足解消へ一体に

【関空再生(上)】「協力できたのに…」連携不足解消へ一体に
【関空再生(上)】「協力できたのに…」連携不足解消へ一体に
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 台風21号が襲来していた昨年9月4日午後。関西国際空港を運営する関西エアポートの岡本治樹・建築設備グループマネジャーは、テレビの映像に言葉を失った。水没する関空。すぐに「地下の高圧電気室が水につかると危険だ」と感じた。

 この日は台風のため自宅待機。会社に連絡を入れるが、通信障害のためほとんどつながらない。同様に自宅待機となっていた同僚たちと午後7時過ぎに自宅近くの大阪(伊丹)空港に入り、情報収集。翌5日早朝、神戸空港から再開された連絡船で関空に渡り、復旧作業に取りかかった。

 「ずいぶん暑いな」。関空第1ターミナルビルのJAL国内線カウンターで、旅客対応にあたっていた吉田さくらさんが異変を感じたのは同4日午後4時ごろ。ふとターミナル反対側を見ると、次々と照明が消えていくのが見えた。

 だが、空港の被害に関する情報はなかなか伝わってこない。蒸し暑さを増すターミナル内。カウンターに備蓄品はなく、控室に残っていたイベント用のうちわと梅の塩アメなどを独自に旅客に配った。「とにかく何ができるか夢中だった」

航空会社から漏れた声

 未曽有の災害が襲った関空で、関西エアの事業継続計画(BCP)は無力だった。災害想定は地震、津波のみ。そもそも、連絡橋が使用不能になった場合に対応する想定はなかった。「あらゆる災害に対応できていなかった」。関西エアは不備を認める。