文芸時評

3月号 早稲田大学教授・石原千秋 信頼が成り立たない時代

石原千秋早稲田大学教授
石原千秋早稲田大学教授

 東京・世田谷パブリックシアターで、ルーシー・カークウッド作、小田島則子訳、栗山民也演出の『チャイメリカ』を観(み)てきた。中国の天安門事件で世界的に有名になった英雄、連なる戦車の前にたった一人でふっと立って戦車を止めたあの青年の写真を撮ったアメリカ人のカメラマンが主人公。あれから23年後。あの青年がアメリカで生きているという情報をつかんだ彼は、次のスクープを求めてその青年を必死に捜す。終盤に、英雄とは誰のことか、あの青年は誰かといった問いと謎が明かされるまでの作りはみごとだった。

 この舞台の最大のテーマは、中国の独裁制の告発だけではなく、アメリカ人カメラマンの行為はどういう意味を持つのかと問うたところにある。たとえこの作品の現在がトランプのアメリカではなく、オバマが終わる時代のアメリカであっても、少しでもアメリカの歴史を考えれば避けて通れない問いだ。それを問う仕掛けは結末に用意されているが、もう一つ、カメラマンと恋仲(?)になるイギリス人女性の存在がそれである。彼女は精神的にやや不安定だし、作品の中での位置もやや不安定だが、その存在は大きな意味を持っている。彼女を妊娠させて、再会するまでまったく気づかないアメリカ人カメラマン。自分のことしか考えていないカメラマン。中国の独裁制だけではなく、アメリカの「善意」は誰かを不幸にする。これがこの舞台のテーマだ。その意味において、すぐれて政治的な舞台だった。

 芥川賞が、町屋良平『1R1分34秒』(新潮社)と上田岳弘『ニムロッド』(講談社)に決まった。前者はもしかしたら選考委員が「ボクサーにも自意識があって、自問自答するんだ」と驚いて決めたのではないかと疑われるような選評があって笑ったが、後者のいくつかの選評にはこちらが驚かされた。「『ニムロッド』は絶望の物語である」(高樹のぶ子)、「無から無を生むシステムの中でしか生きられない人間の哀れさ」(小川洋子)、「間もなく終焉(しゅうえん)を迎える人類文明への哀歌」(島田雅彦)などがそれだ。こんな凡庸なテーマの小説と読んで推薦したのだろうか。ブログが流行し始めた頃にはブログ小説が書かれ、ツイッターが流行し始めた頃にはツイッター小説が書かれ、ビットコインが流行し始めたいまはビットコイン小説が書かれる。そこに何を見いだすかだ。