駅メロものがたり

JR福島駅で甲子園の曲が流れる理由

 出身の福島商は甲子園の常連校。長男の正裕さん(72)は「父はスポーツを全くしない『運動音痴』。でも母校が出場すると、テレビでよく試合を見ていた」と懐かしむ。昭和52年夏の大会で古関は開会式に出席、母校の選手たちの入場行進を目の前で見て「思わず大きな拍手を送った」とも自伝に書いている。

 古関にはスポーツや行進にちなんだ作品が多い。昭和6年には、大学野球の早稲田大学の応援歌「紺碧(こんぺき)の空」がヒット。11年には現在の阪神タイガースの依頼で「六甲おろし」を作曲、60年の日本シリーズ優勝で全国的に有名になった。

 戦時中は若い飛行下士官である予科練生の心を描く「若鷲の歌」などを作曲。「軍部の指示で作った曲ではない『戦時歌謡』で、兵隊さんに寄り添った若者の応援歌。だから親しまれた」と正裕さん。その作風は「栄冠は-」や、昭和39年の東京五輪の選手入場行進曲「オリンピック・マーチ」に受け継がれていく。

 いっぽう「高原列車-」は福島県出身の作詞家、丘灯至夫が、猪苗代町で大正時代から昭和40年代まで運行された、沼尻軽便鉄道をモデルに書いた。鉱山の硫黄を運ぶために走った列車は、湯治客やスキー客も乗せた。古関は丘と同じ日本コロムビアの専属作家で、スイスの高原をイメージして曲を仕上げたという。