冷え込む冬の夕暮れ。浦安市海楽のNPO法人「養神館合気道龍」の道場には熱気が漂う。安藤さんがたくましい若者2人を相手に稽古を行っていた。瞬時に何度も若者を投げ飛ばすが、呼吸は乱れず、静かな笑みさえ浮かべている。小学生の門下生が「先生、すごい」と驚嘆の声を上げた。
愛媛県で生まれた。少年時代は瀬戸内海で泳ぎ、近郊の山で遊んだ。徳島大学に進学後、運命的に合気道と出合った。
合気道は植芝盛平開祖(1883~1969年)が創始した。合理的な体の運用によって体格や体力にかかわらず、強力な相手を制することができる。相手といたずらに強弱、優劣を競うことなく、精神性を重視するのが特徴だ。
安藤さんは大学の合気道部に入部し、稽古を始めた。その結果、小柄な体格に対するコンプレックスがなくなった。
大学卒業後は、大阪市内の会社に就職したが、サラリーマン生活は性に合わなかった。人生に悩み、ニーチェの哲学書を読み、「自分の道を行け」という指針が胸に響いた。そして、「合気道をやろう」と決心し、退社後に単身上京した。養神館を立ち上げた伝説の名人、塩田剛三館長の内弟子となり、道場の寮に寝泊まりして修練に打ち込んだ。安藤さんは「安心感がわいてきた。これでいい。しかるべきところに来たと思った」と振り返る。
優れた先輩たちに早く追いつきたいと、夜もひとりで黙々と基本動作を繰り返した。
ある日、安藤さんは塩田館長と相対した。館長の人さし指一本で相手の喉(のど)元を突く得意技は、目にもとまらぬ早業(はやわざ)で、相手はもんどり打って倒れる。だが、修練を積んだ安藤さんに恐怖心はなかった。
安藤さんは「先生が振り向きざま、ぱっと突いてきた。そのとき、一瞬だけ、先生の指先がスローモーションのように見えたんです」という。
塩田館長は安藤さんが上達したことを察し、「おまえ、名人、達人にならんか。ふたりでやろう」と語り、特訓が始まった。
平成6年、塩田館長が死去した。墓参りに出かけた翌日、神秘的な体験をする。霊魂が自宅に現れ、合気道に関する重要なことを伝えたという。
安藤さんは浦安市の公共施設で指導を始め、門下生が増えたことから道場を開いた。東日本大震災で被災したが、普及活動に力を入れ、第2道場を建て増した。門下生は幼児から80代まで約300人に達する。
世界に視野を広げ、ロシアやイギリスなどを訪れて指導した。浦安の道場でも海外の門下生を受け入れている。妻のステファニーさん(南アフリカ出身)も内弟子だった。
安藤さんは「合気道を究めたい。合気道を理解し、志を抱く若者を指導者として育てていく。日本だけでなく、世界の合気道家が切磋琢磨(せっさたくま)して、次の世代につなげていけばと願っています」と力を込める。 (塩塚保)
◇
【プロフィル】あんどう・つねお
昭和31年、愛媛県新居浜市出身。徳島大学工学部卒業。浦安市在住。NPO法人「養神館合気道龍」代表。好物はうどん。浅田次郎の作品を愛読。好きな言葉は「陽気に元気に生き生きと」。