未来見据えた「時代の仕掛け人」 堺屋太一さん死去

「歴史上の人物」

 官僚としての力量が認められた堺屋さんは、田中角栄元首相の著書「日本列島改造論」(47年)のゴーストライターの1人でもあった。行動範囲も一つの役所に収まらず、45年開催の大阪万博実現に向けた活躍は語りぐさだ。

 「一介の役人が故郷の経済的地盤沈下を何とかしようと、根回しを1人でやった。歴史上の人物だ」と話すのは「堺屋太一の青春と70年万博」を記した作家、三田誠広さん(70)。エピソードも興味深い。

 万博招致を思いついた堺屋さんは官公庁周辺のハイヤーの運転手たちに、自作の企画書を配った。運転手たちが、乗り合わせた上司らに万博に関する話題をするよう仕向けたのだ。世論の盛り上がりに反応する役人気質を知る堺屋さんならではの上司対策だった。

 三田さんは堺屋さんの訃報に触れ「声が大きくてアイデアマン。考えたことを周囲に持ちかけ、すぐに実現するという行動力が並外れていた」と悼んだ。

晩年も衰えず

 小渕恵三内閣などで経済企画庁長官を歴任した堺屋さんのもとには、70代後半になっても役職就任のオファーが相次いだ。

 平成25年から安倍晋三内閣で内閣官房参与を務めた堺屋さんは、安倍首相から2020年東京五輪招致などに全力を挙げるよう指示を受けた際、記者団に「日本を成長国家に変える」と意気込みをみせた。

 昨年11月に2度目の開催が決まった大阪万博についても言及。大阪府特別顧問でもあった堺屋さんは、29年5月の大阪府庁での講演で「2025年万博は(インターネットや人工知能などを活用した)『第4次産業革命』後の世界を見せることが使命だ」と訴え、府庁職員を激励した。

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