浪速風

万博成功はトップより地元がカギ

昭和40年11月、カイロに出かけた経団連会長の石坂泰三に、三木武夫通産相から電話が入った。当時、エジプトでは国際電話で日本語を使うことを禁止されており、「砂嵐のせいか、よく聞こえない上に英語だ。何か言っているようだが、面倒くさくなって、イエス、イエスと答えた」。

▶大阪で開催される万博の会長就任の依頼だった。城山三郎著「もう、きみには頼まない 石坂泰三の世界」に出てくる。固辞していたが、オールジャパンのまとめ役は「財界総理」しかいない。引き受けた以上、お飾りではなく、「責任はおれが取る」と先頭に立った。そのリーダーシップで大阪万博は大成功を収めた。

▶2025年の万博の実行組織になる日本国際博覧会協会が設立され、トップにやはり経団連の中西宏明会長が就任した。名称は「大阪・関西万博」である。ここは地元の意気込みを示したい。中西会長をみこしに、関西全体が担ぎ手になって、祭りを盛り上げよう。