この女児の命を救うことは、本当にできなかったのか。同じ後悔を何度深めればいいのか。残念でたまらない。
千葉県野田市の小学4年、10歳の栗原心愛(みあ)さんが自宅で死亡し、父親が傷害容疑で逮捕された。心愛さんの体には複数のあざがあったという。
心愛さんは平成29年11月、小学校のアンケートに「父からいじめを受けている」と回答し、顔にあざがあったため、柏児童相談所が一時保護した。だが父親は児相の面談に虐待を否定し、学校生活にも落ち着きがみられるとして翌月、児相は親族宅での生活を条件に保護を解除した。
昨年3月には自宅に戻ったが、児相はその後、一度も自宅を訪問していない。今年1月7日の始業式から学校を休んでいることも21日に把握したが、家族とは連絡を取らず、24日深夜に心愛さんは死亡した。
柏児相所長は会見し、「解除の判断は妥当だったが、その後の対応が不足していた」と述べた。これほどの重大な結果を前に「判断は妥当」はあるまい。反省の希薄さが悲劇根絶の壁になっているのではないか。
心愛さんは児相に保護されていた際、「父が怖い」と打ち明けていたという。虐待を否定する父の元に戻すべきではなかった。
小学校の校長は、心愛さんが学級委員長を務めた頑張り屋で、「笑顔が優しい子だったのに、悲しい気持ちでいっぱいです」と話した。後悔が遅い。小学校は昨年1月の心愛さんの転校後、一時保護の経緯を知りながら、家庭訪問も行っていなかった。
東京都目黒区では昨年3月、5歳の船戸結愛(ゆあ)ちゃんが両親の虐待を受け、「もうおねがい ゆるして」と書いたノートを残して死亡した。事件の衝撃は大きく、政府が児童虐待防止のための新プランをまとめるなど、さまざまな対応策が練られている。
そうした機運は、現場に届かなかったのか。心愛さんの家庭がどうなっているか、心配にはならなかったのか。心愛さんを救う機会は、必ずあったはずだ。
児相の人手不足は深刻な状況にあり、職員の増員や関連法の整備は急務である。だが、今ある虐待はこれを待ってはくれない。悲劇の萌芽(ほうが)を放置していないか。全国の児相や学校はこの際、再点検を徹底すべきである。