負けるもんか

一度失った「歌声」 失語症乗り越えた バリトン歌手、原口隆一さん

失語症をのりこえ活躍するバリトン歌手の原口隆一さん=東京都清瀬市(荻窪佳撮影)
失語症をのりこえ活躍するバリトン歌手の原口隆一さん=東京都清瀬市(荻窪佳撮影)

 ピアノの調べとともに響くバリトンの重厚な低音。背筋を張り、腕を広げ、前を見据えるまなざしには力がみなぎっている。

 「病気を経験した今の方がいい声が出るんです」

 自宅に併設されたスタジオで、歌手の原口隆一さんはそう笑顔で話すと、近くコンサートで披露するという日本歌曲を朗々と歌い上げた。ピアノや音響機器を備えたホームスタジオの壁には、オペラの舞台で衣装に身を包んで歌う姿のパネル写真などが並ぶ。迫力は今も写真と比べて遜色ない。26年前に脳梗塞による失語症を発病。声楽家として大切な「言葉」を失った。

 国内外のステージ活動や武蔵野音楽大で指導に明け暮れていた平成5年秋のこと。昼食後、うめき声を上げて自宅ベッドに横たわっていたのを妻の麗子さんと長女の川副晶子(かわぞえ・あきこ)さん(58)が発見した。当時の記憶はないが、「もう死ぬのかな」と言っていた。

 一命は取り留めた。でも医師から名前を聞かれても答えられない。声は出ても意味のある言葉が出てこない。「あいうえお」すら言えない。聞く方も理解できたのは簡単なあいさつ程度で、テレビを見ても音声が「ザー」という雑音で耳に入ってきた。それでもこのときはまだ楽観的に考えていた。「そのうち朝起きたら治っているだろう」

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 付いた病名は「解離性動脈瘤(かいりせいどうみゃくりゅう)」。梗塞を起こしたのは左脳側頭葉の言語をつかさどる領域で、失語症と診断された。何が起こっているのか理解できなかった。

 退院後は失った言葉を一から覚え直した。ごみ箱は家族との意思疎通のために筆談で使った紙で、すぐいっぱいになった。覚えても覚えても記憶から言葉がこぼれ落ちる日々。歌える曲も一つとしてない。もどかしくて、手から血が出るほど何度も自室の壁をたたいた。ときには何時間も叫び、妻に「一緒に死んでくれないか」と切り出したこともあった。

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