阪神大震災の「はるかのひまわり」が歌会始に

小学6年生のころの加藤はるかさん(菊地いつかさん提供)
小学6年生のころの加藤はるかさん(菊地いつかさん提供)

 両陛下が御所で育てられてきたヒマワリは、阪神大震災の復興シンボルとして知られる「はるかのひまわり」だ。震災で倒壊した家の下敷きになり、11歳で亡くなった加藤はるかさんの自宅跡に咲いたヒマワリにちなんで名付けられ、種は人から人へと渡っていった。国内外で咲くヒマワリは、復興への願いと命の尊さを伝え続けている。

 「はるかが亡くなった場所で咲くヒマワリを見たとき、妹が『私はここで生きていた』と訴えているように思いました」。はるかさんの姉、菊地いつかさん(39)は振り返る。

 はるかさんは平成7年1月17日、神戸市東灘区の自宅の下敷きになり亡くなった。同年夏、はるかさんが隣家のペットの鳥に餌としてやっていた種が芽吹き、たくさんのヒマワリが咲いた。その種を住民らが収穫し、地域で更地となった場所に花を咲かせていった。

 活動は人から人へ広がり、13年の神戸市の復興事業の「シンボルフラワー」にヒマワリが採用され、全国に種が届けられた。現在は、いつかさんら震災遺族や被災者らでつくるNPO法人「阪神淡路大震災1・17希望の灯(あか)り」が種を配布。東日本大震災や熊本地震、中国・四川など国内外の被災地でも花を咲かせる。「ひまわり」は絵本や防災の教材にもなった。

 いつかさんは「両陛下がずっと『はるかのひまわり』を心に残してくださっていたのはとてもありがたい」。俳優で同NPO前代表の堀内正美さん(68)は「ヒマワリは命の象徴。両陛下は僕たちが訴えてきた被災者に『寄り添う』という思いを体現されている。神戸市民として感謝したい」と話している。     (有年由貴子)

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