地域医療の先駆けとして地域の人たちに寄り添った京都の医師、早川一光さん(昨年6月、94歳で死去)について語り合う「医師 早川一光を語る会~西陣の医療から総合人間学へ~」が昨年12月、京都市中京区の立命館大学朱雀キャンパスで開かれた。医師や研究者、患者ら50人以上が登壇し、会場を訪れた約450人とともに戦後の医療や認知症家族の団結の歴史をたどった。(加納裕子)
■認知症家族の団結
早川医師の大きな仕事の一つが、昭和55年の「呆(ぼ)け老人をかかえる家族の会(現・認知症の人と家族の会)」の立ち上げだった。医療の限界に気づいた早川医師は、家族がつながるべきだと「家族の会」の結成を呼びかけたという。
前代表理事の高見国生さんは「当時は認知症のことは知られておらず、家族の力だけで介護していた。人は一人では生きられないけれど、仲間がいれば、苦労は変わらなくても生きられる。医師である早川先生が、私たちを導いてくれた」と振り返った。
全国での支部結成を呼びかけるため、早川医師は各地で講演し、団結を呼びかけた。富山県支部の勝田登志子さんは「介護そのものよりも世間の差別と偏見に苦しんでいたが、早川先生に行動すること、焦らず継続すること、認知症でも安心できる社会を実現することを教わった」。
今では全都道府県に支部があり、会員数1万1000人。石川県支部を立ち上げ、平成29年から代表理事を務める鈴木森夫さんは「早川先生の『若い世代が安心できるよう方向性を示してほしい』との遺言を引き継いでいく」と決意を語った。
■「総合人間学」を提唱
昭和25年、京都・西陣に住民出資による「白峯診療所(現・堀川病院)」が作られ、早川医師は誰でもかかれる医療を目指した。当時の状況について、早川医師と同年代の元NHK解説委員、行天(ぎょうてん)良雄さんは「お金がなければ医者にかかれない時代があった」「病気の種類も今とは違った。戦前は肺結核、栄養失調が多かった」と説明した。