昭和天皇の87年

統帥権干犯問題をあおる野党 党利党略が国家を危うくした

 昭和天皇は、この政府方針に進んで協力しようとする。

 昭和4年10月23日《侍従次長河井弥八をお召しになり、皇室費百万円減額の思召しを伝えられ、その可否を御下問になる》(昭和天皇実録16巻147頁)

 だが、給与カットに公務員が猛反発して政治問題化したため、政府は方針を撤回。河井ら側近は《政情を踏まえ、皇室費減額は見合わせを願う》ことにした。すると昭和天皇は同月28日、宮相の一木喜徳郎を呼んで言った。

 《「初声御用邸ノ建築ハ目下ノ経済界ノ状況ニ鑑(かんが)ミ当分延期セヨ 尚宮内省ニ於テモ充分整理緊縮方針ヲ徹底セヨ」》(同巻150頁)

 神奈川県の三浦半島南端に建設予定だった初声御用邸は、東京に近く海洋生物の採集にも適しており、昭和天皇は着工を心待ちにしていた。それを自ら延期したことに、河井ら側近は心を打たれた。

 さらに11月12日、《従来慣行の皇族との御贈答並びに臣下への贈与に関し、国を挙げての財政の整理緊縮、消費経済の節約・合理化の折から、国民生活を質実ならしめるため率先して簡約すべしとの思召しにより、恒例の御贈答の廃止を御治定になる》(16巻160頁)

 以後、宮内省は節約に省を上げて取り組む。

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