特派員発

対中ODA終了 日本の貢献、最後まで浸透せず

 さらに先の政治学者は「(1989年の)天安門事件以降、イデオロギーの求心力低下に危機感を抱いた共産党が愛国心を高揚させたことがODAの評価にも影響した」と指摘。また中国政府は80年代半ばから日本の円借款を幅広く活用するため、政府資金や世界銀行の融資などと抱き合わせで事業を実施するケースが増えたといい、結果的に個別プロジェクトにおいて日本の「色」が薄まる傾向があったという。

 日本国民による援助は中国の国力増大を下支えしただけだったのか。北京の大学教授はODAの周知が十分行われなかったことについて「中日関係が悪化したときに批判一辺倒となる宣伝部門の傾向が招いた」と分析。友好的な国民感情の醸成という「ODAの役割」が十分に発揮できなかったのは遺憾だと話した。

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 対中ODA 中国に対する日本政府の途上国援助。2016年度末までに円借款と無償資金協力、技術協力の合計で3兆6500億円余りを拠出した。1978年に●(=登におおざと)小平が改革開放路線を打ち出したものの外貨資産が深刻に不足していた中国に対し、インフラ整備の潤沢な資金を提供し、経済発展を支えた。ただ中国の経済大国化や急速な軍拡を受けて日本国内でも見直しを求める声が相次ぐようになった。89年の天安門事件後に援助を一時停止したほか、95年に中国が核実験を強行した際も無償資金協力を凍結した。

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