約20年が経過し、現地はどうなったのか。地元の古老に貯水槽の設置場所を聞いて訪れると、予想外の光景が広がっていた。険しい登山も覚悟していたが、現場はトラックなどが頻繁に往来する幹線道路が整備されており、拍子抜けした。
「別の貯水池ができてから使わなくなった。もう10年ぐらいになるよ」。道路脇でミカンを売っていたミャオ族の女性(77)は貯水槽についてこう話した。日本の支援については「だれが金を出したかは知らない」。数年前に道路が整備され移転した村民も多いという。ただ貯水槽について「当時はとても便利になったよ。飲み水はよそでくんで背負って持ってきてたから」と評価した。
付近の道路沿いを探索すると、雑草に埋もれたコンクリート製の貯水槽が見つかった。高さ数メートル。コケに覆われ外側の一部は破損している。密閉式で基礎部分の構造は雑木に覆われ判然としない。隣には高さ約1メートルの石碑があった。白地に赤字で「日本 利民項目(住民のためのプロジェクト)」と書かれた文字が、かろうじて読めた。