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日本政府が昭和54(1979)年から総額3兆6千億円超を投じた中国への政府開発援助(ODA)の新規事業採択が今年度で終了する。対中ODAの資金や技術は中国経済の近代化に大きく貢献したが、中国国民の認知度は最後まで低かった。日本の支援は「感謝」され、日本の国益となったのか。プロジェクトが実施された現地の遺産を訪ねた。(中国・貴州/重慶 西見由章、写真も)
◇「回答できない」
内陸部・貴州省の省都、貴陽から南西に約150キロ。紫雲ミャオ族プイ族自治県の格凸河鎮(かくとつかちん)は、ラクダのこぶのような小高い山々が連なる山間地だ。1999年、日本政府の資金でこの貧困地帯にコンクリート製貯水槽と導水パイプが設置され、住民約5千人が上水道を利用できるようになった。対中ODAの無償資金協力で上限1千万円の「草の根」援助。当時の本紙報道によると、日本の視察団訪問を集落の住民が総出で迎え、熱烈な歓迎ぶりだったという。