元号の風景

日のもとを絶えず染める「かぎろひ」

【元号の風景】日のもとを絶えず染める「かぎろひ」
【元号の風景】日のもとを絶えず染める「かぎろひ」
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 「阿騎野(あきの)」の小盆地は、奈良・吉野からきつい峠を越えたところにあった。ひろびろとした田地のなかの小山は「かぎろひの丘」(宇陀(うだ)市)と呼ばれる。持統(じとう)天皇6(692)年の晩秋、まだ10歳の軽皇子(かるのみこ)(のちの文武天皇)が薬猟(くすりがり)に訪れて宿営したさい、随行の柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が、

 「東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えて かへりみすれば月かたぶきぬ」

 と詠(よ)んだことにちなんでいる。「炎」と書く「かぎろひ」は夜明けに、東の山から昇る太陽の曙光(しょこう)とされる。いま、東方を遠望すれば、ひときわ高い高見山が薄青く浮かんでいた。あの山の稜線(りょうせん)が燃えるように染まったのであろう。

 「大化」(645年制定)いらい、元号の使用はたびたび途絶した。だが文武の代に制定された「大宝(たいほう)」(701年)から「平成」にいたるまで絶えることなく続いた。中国や朝鮮、ベトナムなど元号を定めた国はいくつかあったが、現在は日本だけだ。

 その「日本」という国号も、文武の代に定められた。「日のもと」という意味の、たいらかな国号は、幼い文武が人麻呂とともに眼底に焼きつけた「かぎろひ」から生まれた、と想像したい。(客員論説委員 福嶋敏雄)

 ■本紙オピニオン面で5日から連載

 新連載「元号の風景」が始まります。改元を控え、古来続くわが国の元号に縁(えにし)の深い郷(さと)や史跡を歩き、国の来し方行く末に想(おも)いを巡らせます。

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