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征韓論 西郷隆盛の真意は何だったか 原口泉氏

【iRONNA発】征韓論 西郷隆盛の真意は何だったか 原口泉氏
【iRONNA発】征韓論 西郷隆盛の真意は何だったか 原口泉氏
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 NHK大河ドラマ『西郷どん』が最終回を迎えた。維新の立役者、西郷隆盛が下野するきっかけになった「征韓論」をどう描くのか、それも見どころの一つだった。ドラマでは描き切れなかったであろう、日本近代史の謎、征韓論の真実に迫る。(iRONNA)

 「征韓論」とは文字通りに読めば「韓国を征伐する」であり、武力で朝鮮を支配しようとする主張のことである。この論を唱えた主役は、西郷隆盛とされている。しかし、このころの文献、史料のどこにも、西郷がこれほどはっきり「征韓」を唱えたという記録はない。では、西郷の考える「征韓論」とはどのようなものだったのだろうか。

 ◆「遣韓論」の方が自然

 明治政府が次第に形づくられる中、日本の統治者が将軍から天皇に代わったことで、日朝関係を正常化させようという動きが起こった。初めは、日本の王政復古を通知する外交文書を朝鮮政府が受け取りを拒否するという行為に端を発した。

 日本が幾度となく派遣した使節もかいなく、朝鮮側は国交断絶の強い姿勢を見せた。明治政府の国書には「皇上」や「奉勅」という言葉があり、朝鮮側にとって、そのような言葉を使うのは宗主国である清国の皇帝だけだという認識があった。

 明治3(1870)年4月、外交官の佐田白茅(はくぼう)が森山茂とともに使節として釜山に派遣されたが、朝鮮側の態度に憤慨し、佐田は帰国後激しい征韓論を唱え始めた。この佐田の征韓論に当初賛成したのが、後に大反対の姿勢をとった木戸孝允であった。佐田の熱心な遊説は次第に他の政府高官たちを洗脳し、征韓論は明治政府内で非常に熱を帯びたものとなった。

 閣議では、板垣退助が「朝鮮即時出兵」を主張したのに対し、西郷は軍隊を使わず、しかるべき位の大官が正装で赴き、礼を尽くした交渉をすべきであると反論した。そしてその朝鮮への全権大使を自分に任命してもらいたいと主張した。戦争は最悪の場合であり、そうならないための外交交渉を西郷は考えていたのである。

 このように西郷が主張したのは、実は「征韓論」ではなく「遣韓論」もしくは「朝鮮使節派遣論」だったと考える方が自然である。そして、西郷は自分の主張通り正式に朝鮮使節に任命される。

 ところが、洋行から帰ってきた岩倉具視、大久保利通らが、西郷の朝鮮派遣に反対した。大久保はかつての盟友である西郷と決定的な対立関係になる。最終的には岩倉が天皇に上奏した際、反対論を個人的に主張してどんでん返しが起き、使節派遣論は潰されることになった。

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