「子供の頃からプロ野球を見に行くといえば東京ドームだった。小さい頃からの憧れ、夢が決め手になった」。勝浦市出身の丸佳浩外野手(29)は、広島から巨人へのフリーエージェント(FA)移籍について、11日の会見でこう話した。
勝浦でどんな少年時代を過ごしたのだろう。市内で理容店を営む父親の浩二さん(55)は大原高の元球児。丸選手が小学3年の頃から野球を教えた。当時はソフトボールのチームに参加していたが、高学年選手の本塁打に刺激され、「お父さん、僕もホームランを打ちたい」。浩二さんは「打ちたかったら練習するしかない」と、素振りの際に腰の回し方などを教えた。毎日振ったのは小学校にあった長さ約4メートルの竹。千葉市出身の前巨人監督、高橋由伸さんが幼少期に自宅裏の林の竹を素振りに利用したのをまねた。会見での言葉通り、子供の頃から巨人の選手は憧れだった。
「何も言わなくても2人の妹の面倒をみてくれる、手がかからない子だった。野球でも、私が言うのはへたくそなら練習すればいいじゃないかぐらい。佳浩は前向きな性格だから、練習すればいいだけだと黙々と素振りをしていた」と浩二さん。海辺を走り、理容店の近所の駐車場では素振りをした。「勝浦の町が佳浩を育ててくれたのは間違いない」
地元球団のロッテ入りも期待されたが、移籍先について相談はなかった。「子供の頃から自分で決めるよう育ててきたつもり。自分の好きなことをやりなさい。でも、失敗したら自己責任だって。しかも、30歳近くなって、どこの家でも父親に進路相談するあんちゃんはいないでしょ」。浩二さんは豪快に笑った。
息子からの忘れられない電話がある。「(1軍に)呼ばれた」。平成22年、広島入団3年目の秋。「とりあえず行こう」。妻の利(とし)栄(え)さん(52)を乗せ、当日券の立ち見席でも応援できればと、東京ドームへと車を飛ばした。対戦相手、巨人の投手は当時、日本最速だったクルーンさん。九回ツーアウトに代打で登場した息子は、二塁ゴロに終わった。来季ドームの初打席。巨人の背番号「8」は両親や千葉の野球少年らにどのようなバッティングを見せてくれるだろうか。(斎藤浩)=随時掲載