今こそ知りたい幕末明治

政府軍従軍者から見た西南戦争

「鹿児島日記 城山攻撃戦図」(鹿児島県立図書館蔵、提供写真)
「鹿児島日記 城山攻撃戦図」(鹿児島県立図書館蔵、提供写真)

 明治10年に起きた西南戦争についての記録は、薩摩軍側は裁判での供述をまとめた「西南の役薩軍口供書」をはじめ、西郷隆盛の助命を嘆願しに行ったために生き残った河野主一郎の追想談や、その他従軍日記など資料が残っている。一方、勝者である政府軍側の、特に従軍者の記録は薩摩軍に比べると少ない。今回、政府軍側で従軍した2人の日記と手紙について紹介したい。

 まず、宮城県から参戦した上遠野秀宣(かみとおの・ひでのぶ)の日記、「西討道之枝折」(せいとうどうのしおり)である。上遠野は、明治10年6月に県令から出陣の指令を受け、千葉県習志野で朝6時から夕方6時までの12時間軍事演習を受けてから、出陣している。この演習は非常に厳しいもので、中には逃げ出してしまう人もいた。

 上遠野は猛訓練後、船で現地入りしている。東北出身の彼にとって、宮崎、鹿児島という南国の地ならではの植生が珍しかったようだ。「煙草は6尺以上に繁茂している」「畑では薩摩芋を多く作っている」「各家庭で刀豆(ナタマメ)を栽培している」など具体的に記している。

 また、上遠野は西南戦争がどうしてこれほどまで長引いているのかと不思議に思っていた。ある日、宮崎神社(のち神宮となる)で西郷軍の兵士の妻が泣きながら戦勝祈願をしている姿を見て、女性までもが負ける気でいないのであれば、戦が長引いてもおかしくないと自分を納得させていた。

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