話の肖像画

元ラグビー日本代表・石山次郎(61)(1)

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■釜石へのW杯招致を提案

〈ラグビーのワールドカップ(W杯)日本大会の開幕まで約9カ月。日本選手権で7連覇を達成し、「北の鉄人」の愛称で親しまれた新日鉄釜石のFWを支えた男は、東日本大震災の被災地を支援するNPO法人「スクラム釜石」代表として、岩手県釜石市への大会招致にも尽力した〉

(平成23年の)震災から2カ月ほどたった頃、(新日鉄釜石を前身とするクラブチーム)釜石シーウェイブスのゼネラルマネジャー(GM)だった高橋善幸(よしゆき)との会話の中で出てきたのが始まりでした。

W杯は特別なお祭りで、海外の人も大勢来る。震災で大被害を受け、気持ちが沈んでいる釜石の人たちには何か熱くなれるものが必要。釜石は「ラグビーの街」。熱くなれるものがラグビーだったらいいし、8年後のW杯を招致できたらということで。

緻密な計画はなかったです。とにかく、やろうと言わなければ何も始まらないし、やるとなったらやるしかないですから。

23年7月に、釜石の野田武則市長にお会いしました。行方不明者もいるし、それどころではないというのが本音だったでしょう。ただ、早く動かないと手遅れになってしまう。まずは釜石の外でわれわれが騒ぎ出すけどいいでしょうか、と了解を得るためでした。

数日後に神戸製鋼のラグビーイベントで、(新日鉄釜石の中心選手だった)松尾(雄治)さんと(元日本代表で神戸製鋼GM兼総監督だった)平尾(誠二)のトークショーがあり、「釜石でW杯の試合ができれば」と、松尾さんにぶち上げてもらいました。すごく反応が良くて、「応援する」「釜石でやるなら絶対行く」との声を数えきれないくらい、いただきました。

その後はW杯招致関連のタウンミーティングやラグビーに関するイベントがあれば、(招致の目的やラグビーW杯について説明するため)可能な限り参加しました。

〈紆余(うよ)曲折はあったものの、27年3月、釜石は日本大会の会場の一つに選ばれた。今年夏には釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムが完成した〉

開催地に決まったときは、安堵(あんど)とともに身の引き締まる思いがしました。ただ、本当にこれで良かったのかという思いもずっとあります。(復興に向け、ほかにやるべきことがあると)反対している人や賛成できない人もいるんですよ。

W杯が終わった後で、誰もが釜石でやって良かったと思えるようにするしかないと考えています。(聞き手 橋本謙太郎)

昭和32年、秋田県生まれ。能代工(秋田)でラグビーを始め、卒業後は新日鉄に入社。スクラムを最前列で支えるプロップとして、新日鉄釜石の日本選手権7連覇に貢献。日本代表としてもテストマッチ19試合に出場した。63年に引退。東日本大震災発生後、NPO法人「スクラム釜石」の代表として、被災地の支援活動を続けている。

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