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小倉藩「義を重んずるの挙動」

広寿山福聚寺に建つ「慶応之役小倉藩戦死者墓」。周囲は静けさに包まれている
広寿山福聚寺に建つ「慶応之役小倉藩戦死者墓」。周囲は静けさに包まれている

 小倉藩小笠原家の菩提寺である広寿山福聚(ふくじゅ)寺(北九州市小倉北区)の墓地に「慶応之役小倉藩戦死者墓」と刻まれた石碑がある。

 大正7(1918)年11月に「豊前国有志者」によって建てられた。その世話人は、元小倉藩士の14人だった。題字は伯爵の小笠原長幹(ながよし=1885~1935)による。

 長幹は、最後の小倉藩主である小笠原忠忱(ただのぶ=1862~1897)の長男で、当時の小笠原家当主である。東京都新宿区にある小笠原伯爵邸は長幹の旧宅である。

 大正8年4月3日、碑の除幕式が行われた。建立世話人の一人である畑間道彦=当時(76)=は、除幕式に際して次のように記録している。

 「武士タルモノ、其主ニ尽スヲ以テ忠義本分トス、諸士ハ皆忠義本分ヲ尽シテ戦死シタルナリ、今ヤ善悪無記ノ境界ニ住シ、霊ハ安養浄土ニ遊フナラン」

 長州(幕長)戦争の是非を論ずるのではなく、ただ主君に忠義を尽くして戦死した人々の霊を祀(まつ)るという趣意がよく表れている。

 碑の裏側には、戦死者の位牌、建立に当たって義捐(援)金を拠出した人々の名簿を福聚寺に納めたと彫られている。その名簿「慶応丙寅(へいいん)之役小倉藩士戦死者建墓醵金(きょきん)芳名録」によると、小笠原長幹を筆頭に、奥保鞏(やすかた)、小沢武雄といった旧小倉藩関係者ら174人が寄付し、515円40銭が集まった。この寄付金によって碑が広寿山に建立された。

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