漫画界の巨匠、藤子不二雄(ふじこ・ふじお)(A)さん(84)は、肉と魚が食べられない。超偏食の夫のために、妻の和代(かずよ)さんは毎日、愛妻弁当をつくり続けた。脳出血で倒れ、体が利かなくなった後も、ずっと…。その月日や実に約50年。藤子さんが感謝を込めてスケッチなどで残していたお弁当の数々と夫婦の思い出を本にまとめ、来春出版する。(喜多由浩)
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本は、語りおろしエッセー『恐妻カズヨ氏の元気弁当』(仮題、小学館)。藤子さんが85歳を迎える来年3月の出版を目標に、追い込みの編集作業中だ。
「出版社が最初に考えたタイトルは『愛妻…』。だけど、照れくさいじゃないですか。ワイフはジョーク好きで、面白い人。僕は頭が上がらないし、怒られてばっかりだから『恐妻』に変えたんですよ」
藤子さんが、2歳下の和代さんと結婚したのが昭和41年。『オバケのQ太郎』などのヒットで、売れっ子漫画家として世に出始めたころ。和代さんは静岡の会社社長令嬢だった。
お弁当づくりは、新婚当初から始まっている。藤子さんは、富山の禅宗の古刹(こさつ)の生まれ。食事はずっと精進料理だったため、動物性タンパク質はほとんど体が受け付けない。かけ出しのころ、あこがれの手塚治虫を訪ね、うな重をごちそうになったとき、一口食べただけで鼻血を出してしまったエピソードは有名だ。
「ワイフは当初、僕の偏食を治そうと魚をお弁当に入れたんですが、どうしても無理。すると、僕のおふくろから一生懸命習って、タケノコのみそ煮や大根の葉をゆでてみそでいったよごし、といった肉・魚抜きの僕の好物料理を毎食、つくってくれるようになったのです」
ところが、60年の大みそか、和代さんは突然、台所で倒れ、脳出血と診断されてしまう。左半身がマヒし、一時は言葉さえも失ってしまった。入退院を繰り返し、懸命の治療とリハビリで、かなり回復したが、左手は動かない。
それでも和代さんは、右手1本で家事をこなし、藤子さんの肉・魚抜き弁当もつくり続けた。