「五輪も2度目、万博も…」 大阪誘致実現への全経緯

大阪万博
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 「人類の進歩と調和」をテーマに未来を描き出した1970(昭和45)年の大阪万博から40年以上を経た2014(平成26)年8月、大阪で再び万博構想が浮上した。それから4年3カ月、誘致が実現するまでの全経緯を振り返る。(藤谷茂樹)

当初は足並みそろわず

 「東京五輪も2度目、大阪万博も2度目といきたい」

 大阪府庁で政策提言を受けていた松井一郎知事のこんな発言をきっかけに、誘致の歯車が回り始めた。府は15(同27)年度当初予算に誘致調査費を計上。同年4月には府、大阪市、経済界、有識者で組織する誘致構想の検討会が初会合を開いた。

 ただ、当初から足並みがそろったわけではない。検討会には大阪商工会議所、関西経済連合会、関西経済同友会の関西経済3団体も参加したが、経済界には「費用対効果が不明だ」と冷ややかな意見が根強かった。

首相の発言で流れ一変

 しかし16(同28)年9月、安倍晋三首相が衆院本会議で、万博誘致について「しっかり検討を進める」と答弁すると、流れが一変。政府の後押しが明確になり、経済界も協力姿勢に転じて誘致活動が本格化した。

 同年11月、誘致委員会の準備会が発足し、万博基本構想を国に提出。翌12月には、国の有識者検討会が初会合を開き、構想を具体化していった。

 この有識者検討会では、開催テーマを府がまとめた「人類の健康・長寿への挑戦」から、「いのち輝く未来社会のデザイン」に変更した。高齢化への対応は先進国にとって大きな課題だが、万博参加国には途上国も多いため、より広義のテーマを掲げて支持を広げるねらいだった。

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