話の肖像画

日本小児科学会会長・高橋孝雄(61)(1)

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■小児科医になると決めた光景

〈小児科医36年。子供の命を守る産科・小児科の存在は地域社会の、日本という国の存亡と表裏一体というのが持論だ〉

子供はいつ生まれるか分かりません。絶対に安全なお産というのもあり得ません。だから母子の命を助ける産科・小児科は、生まれる子供がいる限り、どうしても存在しなくちゃいけないのです。子供を安心して産めない、育てられない地域には若い人たちが集まらないでしょう。

子供がいない社会が、どれだけ味気なく殺伐としてしまうことか…。子供が生まれないということは「最後の灯火(ともしび)」が消えてしまうこと。地域社会が、日本という国が消えてなくなることと同じなのですよ。

少子化ですか? 僕が小児科医になったころ、先輩から「30年もすれば子供の数が減って小児科医の仕事はなくなるよ」と言われたものですが、そんな事態にはなりませんでした。小児科医を志す医学生の数も実は、昔と変わっていません。男女比はほぼ同数かな。体力勝負という意味では男性向きだけど、子供や母親の話をよく聞くのは女性の方がいいかもしれませんね。

〈小児科医を志すきっかけは医学部5年生のときの実習で、妊娠28週という早産の妊婦の分娩(ぶんべん)に立ち会ったことだった〉

いろいろな診療科を実習で回っていたとき、たまたま巡り合ったのです。僕が分娩室に入りたい、と希望すると、指導教授は「ショックを受けるよ。(かなりの早産で)子供は多分助からない。母親は泣くだろうし、つらいぞ」って…。

赤ちゃんが生まれたときは、どんな状態でもできるだけ母親に見せるんです。この子と生きてゆくんだ、という実感をもっていただくことが大事だから。

分娩室には小児科医が3人待機していて、「よし後は任せて!」と言うと、お母さんは「よろしくお願いします」と。赤ちゃんの気管に細いチューブを挿入して酸素を送り込み、へその緒からはブドウ糖などを注入する。たった2本のライフラインです。保育器に入れられた赤ちゃんを小児科医たちが取り囲んで懸命に命を助けようとしている。ああカッコイイなって、一瞬で心を奪われました。機械に例えるのはよくないかもしれませんが、まるでF1レースのピットインみたい。

医学にはこんな瞬間があるんです。あぁ、すごいことやるんだな、これこそ僕がやる仕事なんだって。医師の「任せて」と母親の「よろしく」…。これが僕を小児科医にしたのです。(聞き手 喜多由浩)

【プロフィル】高橋孝雄

たかはし・たかお 昭和32年、東京都生まれ。4歳のとき父を亡くし、母子家庭で育つ。慶応大医学部卒。米マサチューセッツ総合病院小児神経科に勤務、慶応大医学部小児科医師、教授として活躍。日本小児科学会会長(2期目)。58歳で出したフルマラソンの最高記録は3時間7分。著書に『小児科医のぼくが伝えたい最高の子育て』(マガジンハウス)。

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