【明治維新150年 埼玉県誕生 人物編】(2)新選組・芹沢鴨の「篝火事件」(3/3ページ) - 産経ニュース

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明治維新150年 埼玉県誕生 人物編

(2)新選組・芹沢鴨の「篝火事件」

 火の粉は風に飛ばされて、宿場に雨のように降り出しました。最悪の場合、宿場全体が丸焼けとなる事態に危機感を覚えた宿場の人たちは、水おけを持って屋根に登り、火を消す始末となったのです。

 驚いた宿場の役人が篝火を止めようとすると、役人の高圧的な態度が芹沢をさらに怒らせてしまいました。持っていた鉄扇で役人を殴り飛ばしたとも言われています。

 ◆分派の一因

 結局、取締役として幕府から派遣されていた山岡鉄舟の取りなしで、芹沢は渋々、火を消しました。そして、ようやく宿の手配ができて芹沢は宿へ入ったといわれています。

 宿屋の手配ミスをきっかけとした篝火事件が、その後、新選組内で確執を生み、芹沢派と近藤派に分裂してしまう原因とされています。

 事件そのものは新選組関連の多くの小説に書かれていますが、元をたどれば、永倉新八が大正4(1915)年に亡くなる前に書いた「新撰組顛末記」(原題・新撰組永倉新八)に「本庄宿の大かがり」として記されています。

 ただ、地元の史料や伝承にはなく、信憑性は薄いとも言われていますが、芹沢だったら「ある、ある」と納得できそうです。(松本博之・ぶぎん地域経済研究所取締役調査事業部長)

【用語解説】芹沢鴨(せりざわ・かも)

 江戸時代末期の水戸浪士。浪士組として上洛後は京都に残り、近藤勇らと新選組を旗揚げした。しかし、芹沢派と近藤派に分裂し、文久3(1863)年、近藤派によって暗殺された。「新撰組顛末記」によると、芹沢の鉄扇は重さ約1.1キロで「平素尽忠報国の士芹沢鴨」と書かれていたという。