明治維新150年 埼玉県誕生

人物編(1)皇女和宮の花嫁行列

【明治維新150年 埼玉県誕生】人物編(1)皇女和宮の花嫁行列
【明治維新150年 埼玉県誕生】人物編(1)皇女和宮の花嫁行列
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 ■県内3泊、人馬調達で宿場混乱

 皇女和宮が徳川14代将軍の家茂に嫁ぐ「降嫁(こうか)」は、幕末期の北武蔵(埼玉県域内)で最も大きなイベントでした。長い長い「花嫁行列」が通過する期間中、中山道の各宿場町などは大混乱となりました。

 ◆京→江戸 24泊25日

 文久元(1861)年10月20日、当時10代の和宮を乗せた輿は一路、江戸に向かって京を出発。約530キロの道中、各地の宿場に泊まり江戸到着は11月15日。新幹線や飛行機など交通網が発達した現代では考えられない「24泊25日」の長旅でした。

 さらに、行列は千数百人の人々を引き連れ、道中、京側から1万人、江戸幕府側から1万6千人が加わりました。その他に持参した品物を運搬する人足を入れると、3万人余りに膨らんだといわれています。

 絵巻物のような行列の長さは約12里(50キロ)。通過するまで4日間もかかったといわれていました。ただ、延々と続く数珠つなぎの行列ではなく、先行して次の宿泊場所を検分する先触れや警護の「先行組」、そして「本体」の和宮の行列などに分かれて中山道を進んで行きました。

 ◆治安重視で中山道

 そもそも和宮の一行はなぜ東海道ではなく、中山道を選んだのでしょうか-。その理由を紹介したいと思います。

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