昭和天皇の87年

皇太子、パリを楽しむ 忘れられないアルザスの小宴

 6月23日、フランス北東部のアルザス地方を訪れたときのことだ。アラプティート都督の案内で、ある小村に立ち寄ったところ、村長から「祝杯の用意をしているので村民に光栄を与えてほしい」と懇請された。裕仁皇太子は快く了承し、村長に導かれて役場内に入ると、そこには村民らの、手作りの歓迎準備が整っていた。

 昭和天皇実録が書く。

 《(裕仁皇太子は)用意された卓に御着席、村長は盃を挙げ、皇太子のお持ちの盃に触れて乾杯する。それよりアルザスの民族衣装を纏(まと)った少女等が次々と同地方の菓子等を運び、屋外の村民はあるいは万歳を唱え、あるいは喇叭を吹き、あたかも地方の祭日の如き様相を呈す》(8巻58~59頁)

 各国皇族や首脳らとの晩餐会に比べ、それはあまりにささやかな宴だった。しかし、一般の村民らと間近で接し、精いっぱいの気持ちを身近に感じ、裕仁皇太子には何よりの贅沢に思えたのではないか。

 昭和天皇実録が続けて書く。

 《皇太子はアラプティート都督に対し、(この小村において受けた)奉迎は、忘れることのできないアルザスの思い出である旨を述べられ(この小村の)小学校児童のために寄付金御贈与の御沙汰あり》(8巻59頁)

 即位後、昭和天皇は常に国民の中に立とうとした。国民が雨に濡れていれば、自身も傘をささずに同じ雨に打たれた。その原点のひとつが、ここにあったのかも知れない。

 欧州歴訪の旅も終盤となり、裕仁皇太子は日に日に視野を広げていく。中でも、のちの天皇としての思考に最も強い影響を及ぼしたのが、第一次世界大戦の激戦地、ベルギー・イープルとフランス・ヴェルダンの視察だった--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 随行取材していた時事新報特派員の後藤武男によれば、このときの買い物は予定外だったため、随行の供奉員らのほとんどが財布を持って来ておらず、後藤が一時立て替えたという

(※2) サン・クルー公園の散策で裕仁皇太子は供奉員らに「日本にはこのような場所がないね」などと感想を漏らした

【参考・引用文献】

○宮内庁編「昭和天皇実録」8巻

○波多野勝著「裕仁皇太子ヨーロッパ外遊記」(草思社)

○二荒芳徳、沢田節蔵著「皇太子殿下御外遊記」(大阪毎日新聞社、東京日日新聞社)