子供の幸せ喜ぶパパの歌? 藤原道長の和歌「この世をば-」の別解

 「『この世』は『この夜』の掛詞(かけことば)で、『今夜のこの世』といった意味。『今夜は本当にうれしい』という喜びの気持ちを詠んだ歌で、唱和に似合う歌だったのでは」と指摘する。

 山本教授は8月刊行の京都大学文学部国語学国文学研究室編「國語國文」87巻8号に、この歌の別解釈に挑んだ論文を掲載した。

 歌が詠まれたのは16日で、当時の暦では望月=満月ではないことや、歌学者、藤原清輔(きよすけ)の「袋草子」に、この歌とともに献杯の様子が描写されていることなどに着目。「月」は天皇の后となった娘を暗喩(あんゆ)していることに加え、「盃(さかづき)」が掛かっている。つまり、娘の結婚とその場の協調的な雰囲気の喜びを、詠んだとする。

 娘の結婚がうれしいのは理解できるが、場の空気は協調的だったのだろうか。

 小右記によると、歌が詠まれたのは、娘の結婚の儀式や関連行事が済み、さらに宴会が終わった後に開かれた、いわば2次会の宴席。人を押しのけないと盃が回らないほど、相当数の貴族が酒を酌み交わす、にぎやかな場だった。

 注目は道長に請われ、実資が道長の息子、頼通(よりみち)に酒を勧めたことだ。実資は道長におもねらない人だった。そんな一家言の持ち主が、息子と盃を交わしてくれた。頼通は前年に摂政の位を道長から譲られたばかり。「道長にとっては、実資に『頼通を支えてくれないか』という思いがあり、実資はその気持ちを深く受け止めた。道長はその喜びを歌に込めたのでは」(山本教授)

 ■「通釈」のわけ

 複雑なロジックだが、月にさまざまな意味をかけた歌は、10年前の紫式部の日記に登場しており、その歌が道長の脳裏をかすめた可能性もある。山本教授は「ほかの人の技法を共有できるのは、和歌の世界では素晴らしいこと。道長の歌は勅撰集に43首が選ばれており、下手な歌詠みではない」と評する。

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