話の肖像画

CoCo壱番屋創業者・宗次徳二(70)(1)

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■極貧の中でも「喜ばせたい」

〈辛さやボリューム、具材を選べる「カレーハウス CoCo壱番(いちばん)屋」を運営する壱番屋。国内外1450店を超える一大外食チェーンの礎を築いた創業者が、平成14年に53歳の若さで経営から身を退いた潔さは、経済界の語り草となった。第二の人生で営む名古屋市中心部の私設音楽ホール「宗次(むねつぐ)ホール」は今年、12年目〉

一人でも多くのクラシック音楽ファンを増やしたい。演奏家にチャンスを与えたい。そんな願いを込めて、ホールの運営を続けています。クラシック音楽と出合ったのは、高校2年のときでした。

〈3歳前後まで兵庫県尼崎市の孤児院で育ち、実の両親を知らない。雑貨商の養父母に引き取られ、貧しかった〉

ギャンブル好きのめちゃくちゃな養父でした。尼崎から夜逃げ同然に岡山県玉野市に移り、養母は愛想を尽かして家を出て行ってしまった。電気を止められてロウソクの明かりで暮らしたり、家賃を払えずに廃屋を転々としたり。話のタネにしていますが、雑草を食べることすらありました。

でも養父を恨んだことはない。競輪場やパチンコ店に連れて行かれると、シケモク(たばこの吸い殻)を拾い集めました。ほぐして吸う養父の喜ぶ顔が見たかったからです。「人を喜ばせたい」が、飲食業や音楽ホール経営の原点かもしれません。

〈小学3年のときに名古屋で3人の生活に戻ったが、養母は再び家を出て屋台の飲み屋を始める。高校進学直後、養父が他界。アルバイトで家計を助けながら養母と暮らす中、クラシック音楽と出合った〉

養父との2人暮らしのときも、週末は養母の屋台を手伝い、泊まるような暮らしでした。高校では私の窮状を知った同級生が家業の豆腐店で毎朝働かせてくれた。

このころ、養母も安定した職に就き、同僚からテレビを譲り受けてきました。友人からテープレコーダーを5千円で入手し、テレビ番組を録音しようとチャンネルを回していたら偶然流れたのが、NHK交響楽団が演奏するメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲でした。優しい旋律が胸にしみましたね。

〈この曲をテープがすり切れるまで繰り返し聴いた。ただ壱番屋の社長だった間はクラシック音楽に一切触れなかった〉

音楽を聴くゆとりがありませんでした。車で移動する間も、社内会議の録音テープを聴いていました。壱番屋を創業したのは29歳のときでした。(聞き手 山沢義徳)

【プロフィル】宗次徳二

むねつぐ・とくじ 昭和23年、石川県生まれ。高校卒業後、八洲開発、大和ハウス工業を経て48年に不動産仲介業を開業。翌年、名古屋市で喫茶店を開く。53年「カレーハウス CoCo壱番屋」を創業、57年に株式会社化。平成10年会長、14年に創業者特別顧問へ退いた。19年「宗次ホール」を名古屋市に開設。NPO法人「イエロー・エンジェル」理事長。

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