話の肖像画

ポケットマルシェ代表・高橋博之(44)(3)

(斎藤良雄撮影)
(斎藤良雄撮影)

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理不尽さへの反抗が原点

〈大学時代は新聞記者を目指した。現場を歩き、1次ソース(情報源)に当たる報道に憧れた〉

学生のころは目立たず、斜に構えるタイプでした。昭和49年、団塊ジュニア最後のころの生まれ。すべては東京にあると思っていました。「田舎にいたら人生は終わりだ」と思い、都会に出て、1浪して大学に入りました。やりたいことは別になかったけど、南米や中国など世界を回りました。

当時、アルバイトでテレビ朝日の「ニュースステーション」のアシスタントディレクターをしていました。社会に光を当てる報道という仕事を、単純にかっこいいと思ったからです。

「大統領の陰謀」というウォーターゲート事件の調査報道を扱った米映画を見て、1次ソースに当たる仕事がしたいと考えました。書くことが好きだったので、新聞社しか受けませんでした。3、4年受験を繰り返し、100社以上落ちました。それが今、逆に新聞社から取材を受けているんだから、これも縁なのかもしれませんね。

〈新聞社に入社するための社会勉強として、国会議員のカバン持ちに。政治の世界に足を踏み入れた〉

仕える議員のために街頭でチラシを配っても誰も受け取ってくれません。政治の批判はするくせに、です。「文句があるなら直接言ってこい」と腹を立てていました。

しかし、よく考えると自分もそっち側でした。当事者意識のない、かっこ悪いやつ。地元の同級生との飲み会で、地元の衰退ぶりを語ったら「東京のやつに言われたくない」と怒られました。29歳でした。

次の日、「選挙に出よう」と地元に帰って辻(つじ)立ちを始めました。国道の交差点、住宅地、毎朝2時間、声を張り上げました。

小さな街ですから、そういうことをやる人は誰もいません。狭い地域社会のしがらみの中で生きてきた親からは「恥ずかしい」と言われました。不審者扱いをされ、パトカーを呼ばれたこともあります。みんなに当選は無理と言われました。

やっていないのに何が分かるのか。そんな思いで、厳しい冬も毎日辻立ちをしていると、徐々に応援してくれる人も増えてきました。選挙資金の200万円は地元の信用金庫で借り、残りを100円カンパで集めました。何とかなるものです。平成18年の県会議員補欠選挙で初当選、翌年の県議選ではトップ当選でした。

〈行動や思いの原点にあるのは、世間の理不尽さに対する反抗。3年前に亡くなった、障害のあった姉の存在が大きい〉

自分は以前、「兄姉はいない」と言ってしまったことがあります。恥ずかしいことです。姉が社会から疎外され、世間から理不尽な扱いを受けるのを幼少期から目の当たりにしてきました。選挙も理不尽さへの抵抗だし、第1次産業も理不尽な扱いを受けていると感じます。曲がったことにイライラしてしまう性分なんです。(聞き手 高木克聡)

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