明治の50冊

(33)正岡子規『病牀六尺』 病を楽しみ国の未来思う

【明治の50冊】(33)正岡子規『病牀六尺』 病を楽しみ国の未来思う
【明治の50冊】(33)正岡子規『病牀六尺』 病を楽しみ国の未来思う
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 俳句や短歌、文章の革新運動を進めた正岡子規は脊椎カリエスに侵され、34歳の若さで世を去った。その最晩年の随筆『病牀(びょうしょう)六尺』は、明治35(1902)年の5月5日から亡くなる2日前の9月17日まで計127回、新聞「日本」に連載された。不治の病で床に伏し、激痛と闘いながらも森羅万象への好奇心を持ち続けた日々の記録は、今も読み手の心を揺さぶる。

 〈病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである〉。6尺は約1・8メートル。その狭い床からほとんど動けない生活がもう何年も続く。そんな厳しい病状から書き起こされる日記形式の随筆は、6月以降一日も休まず掲載された。

 「目前に迫る死を意識した子規がやったこと、考えたことが新聞で日々発信される。意図せずして、一人の近代人がどんな最期を迎えるのか、その実況中継となった」と、『子規の宇宙』などの著書がある俳人、長谷川櫂(かい)さんは語る。

 内容は実に多種多彩。文学論もあれば、歌川広重の絵画論もある。能や狂言を論じて日本と西洋の芝居を比較する。かと思えば自働電話やビヤホールなど今見たいものを列挙する。絶叫を伴うような病苦が伝わる回もあるが、悲観一色には染まらない。

 〈悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった〉〈死生の問題は大問題ではあるが、それは極(ごく)単純な事であるので、一旦あきらめてしまへば直に解決されてしまふ〉…。達観したような言葉を記しては、モルヒネを飲み、果物や草花の写生を楽しむ。連載が100回に達した日には、原稿を入れる新聞社宛ての封筒が200枚(200日分)も残っているのを見て、心もとない未来に思いをめぐらせている。〈半年以上もすれば梅の花が咲いて来る。果たして病人の眼中に梅の花が咲くであらうか〉-と。

 連載には激励や質問の手紙も届いたようだ。〈あきらめ〉の境地についての読者の質問に答えながら、子規は〈病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の面白味もない〉と力強くつづっている。

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