評伝

下村脩さん 孤高の道、ひたむきに クラゲから奇跡の光

母校の大阪府立住吉高等学校を訪問したときのノーベル化学賞受賞の下村脩さんと明美夫人=2009年10月、大阪市阿倍野区(頼光和弘撮影)
母校の大阪府立住吉高等学校を訪問したときのノーベル化学賞受賞の下村脩さんと明美夫人=2009年10月、大阪市阿倍野区(頼光和弘撮影)

 「この物質を発見できたのは奇跡的な幸運。天の恵みです」

 オワンクラゲに含まれる緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見でノーベル化学賞を受け、19日に亡くなった米ボストン大名誉教授の下村脩(おさむ)さんは受賞の前年、こう語った。

 生物が放つ不思議な光に魅せられ、「なぜ光るのか知りたい」と1960年に渡米。海岸で朝6時から夜まで毎日、家族総出でクラゲを取り続け、17年間で85万匹も捕獲し分析。ごく微量しか含まれないGFPが光る仕組みを突き止めた。

 「美しいだけが取りえで、何の価値もない物質だった」。しかし遺伝子工学が進歩すると一躍、脚光を浴びる。この物質の遺伝子を使うと緑色の光が目印となり、病気を起こすタンパク質などの行方をマウスの体内で追跡できる。医学や生物学の研究で世界中で使われるようになった。

 幼少期を満州で過ごし、中学生のとき長崎へ疎開。学徒動員で軍需工場に駆り出された。原爆投下時は諫早市内で強烈な閃光(せんこう)と衝撃を感じた。終戦後は卒業証書がなく高校に進学できず、研究者になったのも偶然だった。

 「人がやっていないことをやりたかった。競争は好きじゃない」「偉そうなことを言う人は嫌いなんですよ、医者も先生も」。権威主義を嫌い、出世や金もうけに興味はない。自分が目指す道を、ひたむきに歩む孤高の科学者だった。

 受賞後は若い世代にこう呼びかけた。「興味のある分野に遭遇したら、絶対に諦めず、成功するまで努力してほしい。難しいことの方が喜びは大きい」。短期的な研究成果を求める近年の風潮とは一線を画し、科学の原点を貫いた人生だった。(科学部長 長内洋介)

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