昭和5年創刊と国内の山岳雑誌で最も長い歴史を誇る「山と渓谷」(山と渓谷社)が今年、1千号を迎え、順調に発行を続けている。戦時下の休刊を乗り越え復刊し、中高年層や山ガールと呼ばれる若い女性らの登山ブームを牽(けん)引(いん)。出版不況の中でも固定読者をがっちり押さえ、日本の登山文化を支えた。88年の歩みは近代の日本登山史そのものだ。(横山由紀子)
初の商業山岳雑誌
戦前から戦後、現在に至る国内登山事情や歴史を網羅した8月の1千号。幼少期から山に親しむ皇太子さまが、富士山や穂高岳などを撮影された写真を掲載したのをはじめ、立山や剣岳など全国の登山ルート100選を紹介した。
同誌は、信仰の対象だった山に遊びとスポーツ登山の概念がもたらされ、活発化した昭和初期、早稲田大山岳部出身の川崎吉蔵により創刊。「これまでの同人誌的な雑誌と違う、商業ベースにのった本格的な山岳雑誌」と山本聡編集長。スキーなど大衆を意識した作りで支持を集めた。
31年、日本のネパール・マナスル初登頂で到来した戦後空前の登山ブーム期には、環境破壊や遭難事故への警鐘を鳴らし存在感を発揮。40年代には、植村直己や田部井淳子らスター登山家を紹介し、最近は、ファッショナブルな女性登山者やパワースポット巡りなどの観点から、新たな流行の現象を分析している。
大衆路線と広告重視
戦前から戦後にかけ、「山小屋」「新ハイキング」「山」「ケルン」など多くの山岳雑誌が、創刊されては消えていった。現在、本格的な山岳雑誌として、他に22年刊行の「岳人」があるが、「山と渓谷」が最長寿。理由について、登山史研究家の布川欣一は「編集の大衆路線と、広告重視」とみる。
大衆をつかむことこそ雑誌の使命と考えた創業者の川崎は、大学山岳部などの高峰を目指すアルピニズムもしっかりと押さえながら、近郊の低山やスキーを楽しむ大衆登山者を対象読者とした。広告も重視し低価格化を実現、より大衆に受け入れられていったという。
登山史に残るムーブメントも作った。作家、深田久弥の紀行「日本百名山」をもとにした山岳番組をNHKと共同制作、平成6年から放送されると中高年登山者が爆発的に増えた。同誌も大きく部数をのばした。