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「伝説の学習塾」と呼ばれた塾が、大阪にあった。大阪府立高の教師だった故・入江伸(しん)が昭和32(1957)年から昭和61(1986)年まで開いていた「伸学社」(通称・入江塾)だ。全国一の進学校、灘高の募集人員が55人だった年に30人の合格者を出したこともあるという。特徴的だったのは、成績が悪くてもやる気さえあれば、無試験入塾させたこと。その教えの神髄(しんずい)は、学力偏重ではなく「人間力」にあった。
徹底したスパルタと情熱的指導「人間が七分。学力は三分やで」
塾設立のきっかけは、内申点が重視される府立学校の制度に対する入江自身の反発だった。「良い内申点をもらうため、先生たちの顔色ばかりをうかがうのはおかしい」
私立なら内申点は関係ないと、ターゲットは灘高にすえた。
出身者によると、学校からそのまま塾に向かい、終電の時間まで居残って勉強するということもざら。高校受験を目指して浪人している生徒もいて、塾に泊まり込みで学び続けていた。
徹底したスパルタだったが、情熱的な指導を行う入江の人気はカリスマ的だった。怒ると怖かったが、同時に自分たちのことを考えてくれているという思いがストレートに伝わっていたからだ。出身者にはその後、医師や官僚などになった人も多いが、タレントのラサール石井さんも卒業生の一人だ。
現実と向き合わせ「謙虚な逞しさ」身につけ
2月下旬。平成18(2006)年に88歳で亡くなった入江が眠る大阪市内の墓前に好きだったキリンビールが供えてあった。妻、緑さん(89)は「教え子の誰かが持ってきてくれたんやね。ありがたいわ」。鬼籍(きせき)に入って11年だが、今も入江を慕う卒業生は多く、年末には、同窓会も開かれる。