静岡・古城をゆく 北条五代の史跡

甲相同盟破綻(静岡県駿東郡地方)

【静岡・古城をゆく 北条五代の史跡】甲相同盟破綻(静岡県駿東郡地方)
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 ■駿豆国境地帯で戦闘展開

 永禄12(1569)年の今川氏滅亡後、駿河に侵攻した武田信玄と、今川氏を支援する小田原北条氏は駿東郡地方で戦いを繰り返していた。最大の山場を迎えた元亀2(1571)年、信玄が北条軍拠点の深沢城を制圧したのを契機に、両氏は甲相同盟を結び、ひとまず安定期を迎えた。

 ところが、天正6(1578)年3月に越後の上杉謙信が急死すると、養子である景勝(謙信の甥(おい))と景虎(北条氏政の弟)の間で世継ぎ争いが勃発。景勝は本城の春日山城に、景虎は府中御館(上越市)に入り陣容を固めた。

 この時期、北条氏が対峙(たいじ)していた北関東の佐竹、結城、宇都宮氏らが連合し、戦線は膠着(こうちゃく)していた。氏政は5月、弟の景虎支援のため同盟を組む武田勝頼に出馬を要請し、厩橋(まやばし)城(前橋市)の北条(きたじょう)高広、沼田城の河田重親(しげちか)らとともに越後へ侵攻した。ただ、勝頼が信濃から越後国境辺りまで進軍したところで、にわかに景勝から和睦要請があり、勝頼はそれを承諾し、誓詞を交わして甲府に帰陣してしまった。