■勉脩-卒業後も成長
学校を訪れると、慣れた手つきでろくろを回す生徒に出会った。
佐賀県立有田工業高校(有工)は、日本磁器発祥の地、有田町にあり、窯業や陶芸を学べる全国でも数少ないセラミック科を持つ。生徒は、成形から焼成まで校内の設備で行い、美しい器を作りあげる。
3年の福田将希さん(17)は「焼き上がりを見たときの興奮がたまりません。釉薬が熱で溶けてかすれたり、はがれることもありますが、それも味になる。同じように作っても同じものはできない。そこがおもしろい」と語った。
有工は、今年創立119年。明治14年に発足した日本初の陶器工芸学校「勉脩学舎(べんしゅうがくしゃ)」を前身に、同33年、佐賀県工業学校有田分校として誕生した。
窯元の技術継承を学校教育で行う動きは注目され、各地の窯元の子供が通った。
戦前の産業発展の過程で、名を刻んだ卒業生も多い。東洋陶器(現TOTO)社長を務めた江副孫右衛門や、日本を代表する陶芸家、第13代酒井田柿右衛門、第12、13代今泉今右衛門も有工で学んだ。窯業界を牽引(けんいん)する企業への就職も多く、卒業生は有田焼をはじめ日本の焼き物の発展に深く関わってきた。
時代のニーズに合わせて学科を増やし、現在はセラミック、デザイン、電気、機械の4科と定時制を持つ。世界的デザイナーとして活躍する吉岡徳仁氏も、デザイン科に在籍した。校内に並ぶ陶磁器や企業と連携した商品パッケージ、工作機器などの作品が「ものづくり教育」の力を物語る。
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歴史ある学校には相応の伝統行事がある。「有工名物」として卒業生が真っ先に挙げるのが、冬季の「30キロマラソン」だ。
コースは隣接する長崎県波佐見町、佐賀県嬉野市、武雄市にまたがり、アップダウンも激しい。制限時間は5時間半で、時間を過ぎると、バスで迎えがくる。ショートカットした生徒には、厳しい指導と補習が待っている。
卒業後、同校の電気科実習教師となった吉村優輝氏(24)=平成25年卒=は「3年間で3回とも大雪でした。手はかじかみ、頭に雪も積もった。1年目は序盤に力を入れすぎて完走できず、2、3年はなんとかゴール。近所の人があめをくれ、温かみを感じましたね。自分に負けないこと、友達と励まし合うことなど、いろんな教えが詰まっていました」と振り返る。
有工マラソンの始まりは昭和22年。前年に佐賀県で戦後初の駅伝大会が開催され、有工は急ごしらえでチームを仕立てたものの、最下位に終わった。
汚名を返上したいと、生徒、教員が一丸となった。練習を繰り返し、若い教員も一緒に走った。その甲斐あり、2回目の大会は県3位。数年後には全国大会出場を果たす。
挫折をばねにしたエピソードは語り継がれ、伝統行事として定着した。以前は「最後尾」というタスキがあり、回避しようと生徒が全力で走ったという話や、車と接触した生徒の第一声が「僕の事故が原因で、マラソンを中止するのはやめてください」だった、という逸話も残る。
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校訓は「勉脩-愛し 創り 光れ」。勉脩とは、学芸を身に付けるため学び続けることを意味する。
津川久博校長(57)は「生徒には躍動感があり、春の芽吹きを感じさせます。目的意識を持って通っているからでしょう。それぞれに強みがあり、生徒同士で一目置いたり置かれたりして、切磋琢磨(せっさたくま)しています」と紹介する。
芽吹いた生徒は、卒業後も成長を追い求める。
プロ野球、東北楽天ゴールデンイーグルスの古川侑利投手(23)=平成26年卒=は、野球部の厳しい練習に耐え、甲子園で1勝したことを胸に刻んでいる。
「有田町のみなさんがスタンドいっぱいに応援に集まり、とてもうれしかった。午前7時ごろから朝練で、放課後も午後10時まで練習し、根性が付きました。うまくなりたいという気持ちが今も常にあり、これは高校時代から変わりません」
有田焼の総合商社、百田陶園社長の百田憲由(のりゆき)氏=昭和62年卒、現PTA会長=(50)も、野球部生活が人生に大きく影響した。
「練習漬けの毎日で、勉強をした記憶はありません。人間関係の築き方やここ一番の集中力、社会で必要なことは全て部活で学びました。今、ブランドを立ち上げて海外展開をしていますが、野球の練習よりきついことはない。全力で打ち込める環境があったことは幸せでした」。百田氏は、世界中の家庭の食卓で有田焼が使われる風景をつくろうと、国内外を飛び回る。
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セラミック科主任の沢山大亮氏(38)=平成11年卒=は、文化祭に忘れられない思い出がある。
「実習で器を焼く釜を使ってピザを焼き、模擬店で出しました。200度の温度が出せるので、すごくおいしくできたんですよね。爆発的に売れました。最初は『神聖な窯で…』と怒られるかと思いましたが、先生もおもしろがって許可をくれて。生徒のアイデアは、すごく大切にされました」
生徒の作品を展示する文化祭は創造力にあふれる。今年も11月開催に向け、準備が進む。姉妹校の石川県立工業高、富山県立高岡工芸高、香川県立高松工芸高の生徒会役員も訪れる。
4校は、工芸教育のパイオニアで、佐賀出身の納富介次郎(1844~1918)が創設に関わった。納富は「創造的工芸品の輸出が、富国の道を開く」と訴え、日本の伝統工芸を輸出産業に発展させようと人生をささげた。
有工創立100年を迎えた平成12年、4校は姉妹校となり、交流を続けている。豊かな国へ、工芸技術を高めようとした納富の志は、今に息づく。(九州総局 高瀬真由子)