虎番疾風録

攻略〝難物〟小山コーチ 其の一38

ベンチ前で安藤監督の隣に立つ小山コーチ。何を聞いても「すこぶる順調」
ベンチ前で安藤監督の隣に立つ小山コーチ。何を聞いても「すこぶる順調」

虎番疾風録 其の一37

小山コーチのマスコミ嫌い。〈たいしたことないやろ〉と甘く見ていたのが大間違いだった。コーチに就任し、初めて投手陣を集めての挨拶(あいさつ)でいきなり「ええか、新聞記者とは何も話すな」と命令したという。しかも、小山コーチ自身がそれを実践してみせた。

何を質問しても「監督に聞いてくれるか」とまともに答えない。投手が好投しようがKOされようが、試合後のコメントは「すこぶる順調」の一言だけ。感情に合わせてときどき声のトーンやアクセントを変えるぐらい。

〈けったいなおじさんや〉と思った。だが、不思議と腹が立たない。というのも、記者嫌いといっても、まったく無視するわけではなく、野球以外の話題は実に楽しそうに話す。次第にそんな小山コーチを好きになっていった。

小山正明、昭和9年7月28日生まれ。兵庫県の高砂高から28年に阪神に入団。抜群の制球力で精密機械と言われ、30年代の阪神を支えた「エース」。183センチの長身。スラリと伸びた脚。彫りの深い顔。格好良さは外見だけでなく、野球人としての生き方だった。

38年12月26日、阪神の小山と大毎の山内一弘のトレードが発表された。エースと4番の交換は「世紀の大トレード」と言われた。2年後輩の村山実の台頭。「両雄並び立たず」の風潮。だが、小山には阪神を出ることへのわだかまりはなかったという。当時、平本先輩の取材を受けた小山はこう答えた。

「ボクは自分の選手寿命をあと3年だと決めている。その間に200勝したい(当時174勝)。これを達成したら引退して、アパート経営をやるつもり。あと3年、条件がよければどこの球団でも行く。トレードは整理されるのではなく、相手チームのウイークポイントを埋めに行くんだ」

そして大毎に移籍した小山は39年、30勝12敗の成績で最多勝利のタイトルを獲得。見事200勝を達成した。

小山コーチは大の釣り好き。そこで釣り雑誌を読んで近づいた。だが、にわか仕込みはすぐに見破られた。「すみません。どうしてもコーチと野球の話がしたくて…」と正直に告白した。意外にもこれが功を奏した。気に入られたのである。

ある試合前のこと。急遽(きゅうきょ)、打撃投手を務めることになった小山コーチから「ちょっとキャッチボールやってくれ」と声がかかった。回転のいいボールが「パーン」といういい音をたててグラブに収まる。

わずか10数球だったろうか。終わってグラブを脱ごうとしたら、なぜか取れない。なんと、人さし指と中指が倍ぐらいに腫れ上がり、付け根が真っ青に変色していたのである。恐るべし…。この話を大の阪神ファンだった父にすると「なに、あの小山と…。その手は2度と洗うな!」と叫んでいた。(敬称略)

虎番疾風録 其の一39

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