「昨日の晩、勝也がね、お父さんと一緒にバットを振ったのよ。いつも一人じゃ、お父さんが寂しそう…って」
藤田幸子夫人の声が電話口で弾んでいた。実は子供たちが生まれるまで、その「役」は夫人が務めていた。自宅前で毎夜、バットを振る藤田を、そばでじっと見つめる夫人。西宮市甲子園口界隈(かいわい)では、藤田の夫婦(みょうと)練習といえば、ちょっぴり有名だったという。
「一人で振ってたら寂しいでしょ―って、最初は見てるだけやった。そしたら、ある日、『昨日の試合ではもっとバットが下から出ていたわよ』と言うんだよ。驚いた。野球もしたことないのに、何度もボクのスイングを見てるうちに、形で覚えてしもたんやね」
グリップの位置や、右肩の入り具合など「いつもと違うわ」と的確な指摘。その日から幸子夫人は藤田の専属打撃コーチになった。それだけではない。夫人には実業家としての才があった。
ある日、藤田家を訪ねたときのこと。いつもとようすが違った。応接間のソファに藤田がばつの悪そうな顔をして座っている。幸子夫人はというと、そんな藤田のことなど知らんぷり。宝石商とおぼしき男性が、テーブルにずらりと広げた指輪やネックレスを楽しそうに眺めている。藤田に小声で聞いた。
――何かあったんですか。
「昨日、夫婦(ふうふ)げんかしたんや」
――それと宝石と、何の関係があるんです。
「ウチのやつは、夫婦げんかの度に必ず、宝石を買いよるんや」
――へぇぇ。家の物を投げて壊されるより、ましやないですか。
「お前、ウチのやつと同じこと言うやないか」
実はこの商談で宝石鑑定の目が肥えた夫人は、後年、本物の「宝石商」となり、さらに幾つものマンションを経営する女性実業家になった。まさに、藤田に「幸」あり―である。
さて、首位打者争いはというと、今度は巨人の篠塚が反撃した。
サングラスを掛けても「まぶしくてボールが見にくい」と10月3日の中日25回戦(ナゴヤ)で打席に立たなかった藤田を尻目に、篠塚は後楽園球場でのヤクルト24回戦で5打数4安打の固め打ち。打率を3割5分3厘5毛と跳ね上げ、藤田に2厘8毛差に詰め寄ったのである。
「久々のデーゲーム。気持ちよく打てました。ここまで来たら、一度でいいから、藤田さんの上に出たいですよね」
名古屋から藤田家へ電話を入れた。
「何を心配してるの? 大丈夫。最後はウチの人が勝つから。私の言葉を信じなさい」
幸子夫人に言われると、本当にそう思えてくるから不思議だった。(敬称略)