大阪大谷大(大阪府富田林市)は28日、大名などの権力者が軍勢による略奪などの禁止行為を記した「禁制(きんぜい)」と呼ばれる古文書のうち、京都の「町(ちょう)」に宛てた最古の禁制を発見したと発表した。天文15(1546)年9月に戦国武将・細川国慶(くによし)が発給した禁制で、これまで最古とされたものより2カ月古いという。
「町民に乱暴働くな」「竹や樹木伐採するな」
国慶は室町幕府の管領(かんれい)などを務めた細川氏の一族。天文15年9月に当主・氏綱(うじつな)の代理で入京し京都を支配するが、翌年に戦死した。
「禁制」は幕府や大名など権力者が軍勢による略奪などの禁止事項を記した文書で、寺社や町が権力者側に金銭を払い、入手する。当初は寺社などを対象としていたが、戦国時代になると都市の人々が経済的、政治的に力を持つようになり、町が武家側と直接交渉するようになった。
今回見つかった文書は天文15年9月の発給。「三条御蔵町(さんじょうみくらちょう)」(現・京都市中京区御倉町(みくらちょう))に宛て、軍勢が町民に乱暴を働くこと、竹や樹木伐採の禁止などが記され、国慶の花押がある。これまで京都の「町」を対象とした禁制は、室町幕府が同年11月、現在の京都市中心部の2町に宛てたものが最古とされていた。