虎番疾風録

お目々腫らして藤田奮戦 其の一31

結膜炎で右目がふさがった状態で打撃練習する阪神の藤田平
結膜炎で右目がふさがった状態で打撃練習する阪神の藤田平

虎番疾風録 其の一30

安藤新監督が内定し、阪神の「監督騒動」もひと休み。だが、新米の虎番記者に息のつくまはなかった。監督問題と同時進行でグラウンドではベテラン藤田平の首位打者争いが熾烈(しれつ)を極めていた。

9月19日時点で藤田の打率は3割5分5厘で首位。その後をヤクルトの大杉勝男(3割4分1厘)、そして巨人の篠塚利夫(3割4分)が追いかけていた。普通の藤田なら1分4厘の差は余裕だった。ところが9月上旬に右目が結膜炎になり、9日の広島戦でスタメンを外れて以来、11日間、6試合打席に立っていない。これ以上休むと「規定打席」不足が気になった。

野球規則によると「規定打席」は試合数×3・1で403。藤田は残り試合「16」で26打席に立てば到達する。首位打者の最終打率を3割4分5厘と予想すると、26打数で「6安打」すれば3割4分6厘で当確となるのだが、このときの藤田の右目は腫れ上がり半分塞がった状態だった。

〈こんなんで打てるんかいな〉心配だった。

藤田平、昭和22年生まれ、当時33歳。54年4月17日のヤクルト戦(神宮)で一塁守備の際に左太ももの肉離れを起こした。7月に渡米しロサンゼルスの外科医の手術を受けたが、左太ももの屈筋は正常の三分の一しかつながっていない。藤田にとって最後のタイトル挑戦になるかもしれなかった。

藤田には特別な思い入れがあった。実は55年に「虎番」を拝命し、一番に雑談ができるようになったベテラン選手だった。

当時、若手選手は別にしてベテランの選手とはなかなか話すことができなかった。ましてや藤田は無口で、取っつきやすい選手とはいえない。そこで一計を案じ「奥さん」と話すことにした。毎日、藤田が自宅を出る頃を見計らって、電話攻勢を掛けた。幸子夫人も最初は「私でいいの?」と怪訝(けげん)そうだったが、次第にいろんな話を教えてくれた。「夫としての藤田」や「パパ藤田の姿」などなど。そして、ある日、試合前にベンチに入ってきた藤田がいきなり、集まっていた虎番記者たちに向かって叫んだ。

「サンスポの田所っちゅうのは何奴(どいつ)や!」

「はい! ボクです」

「お前か、毎日毎日、家に電話掛けてくる若い記者っちゅうのは」

「すみません。奥さん、怒(おこ)ってはりましたか?」

「いいや。『よろしく言うといて』と言うとった」

〈あぁ、びっくりした〉これを機に藤田本人とも話せるようになり、大の仲良しになった。何度も西宮市甲子園口にある自宅も訪ね、家族ぐるみのお付き合いができるようになったのである。(敬称略)

虎番疾風録 其の一32

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