「プロとアマの違いが分かる記者になれ」
これが初めて挨拶に行ったときの安藤2軍監督の言葉だった。〈違い…ってなんやろ?〉きっと、とぼけた顔をしていたのだろう。監督は笑いながら続けた。
「例えば1点負けてる七回に無死一、二塁で3番に打順が回ってきたとする。高校野球なら迷わず送りバントのケース。でも、プロは違う。甲子園のファンはこの場面で何を期待してる?」
――そら、一発逆転の3ランです。
「そう、3番打者のタイムリーやホームランを期待してる。それを見るためにファンは入場料を払っている。選手の方もそこで打ってこその3番打者。仮に併殺打で無得点に終わり、試合が負けたとしても、それは、その場面で打ち返せる3番打者を育てていなかったチームの問題で作戦のミスじゃない。もちろん、勝つことが最大の使命だが、プロにはそれだけじゃないもっと大きな使命がある。だから選手個々の練習も違う。それが分かるプロの目を持った記者になれということ」
平本先輩の口添えがあったとはいえ、ペーペー記者にここまで…。この時の言葉は野球記者としての信条になった。1軍のブレイザー監督とは英語でしか話せないこともあり、おのずと足は2軍に向かった。
安藤統男-昭和14年4月8日生まれ、当時42歳。茨城・土浦一高から慶大。36年オフに阪神に入団した。優しそうに見えるが、意外に頑固。「なにせ打撃の神様の誘いを蹴った男やからな」と平本から聞いていた。この時の話を聞くと、監督はいつも「オレのヘソは180度曲がってるんだ」と笑った。
36年、慶大4年生の安藤の進路は「巨人」に決まりかけていた。大学の先輩・藤田元司からも「ウチに来い」と誘われ、当時、監督だった打撃の神様川上哲治が茨城県土浦市の安藤家にやってきて、直接「ウチに入団してくれ」と説得。家族も周囲も感激し「ありがとうございます」と頭を下げた。ところが、安藤は決然とこう答えたという。「申し訳ありません。ボクは巨人を倒す阪神に行きます」
――そんなに阪神のこと好きやったんですか?
「阪神? 何も知らなかった。あのときは周囲であまりにも巨人、巨人と言うもんだから、カーッと来て、オレの人生勝手に決めるな。人の言うことなんか聞いてやるか!と、つい…」
――つい?
「そう、つい言ってしまった。でも、安芸キャンプに行って、吉田さんの守備を見たとき、本当に荷物をまとめて故郷へ帰ろうと思った。後悔したよ」
当時の阪神の内野陣は三塁に三宅秀史、遊撃吉田義男、二塁鎌田実-の鉄壁の布陣。安藤の付け入る隙はなかったのである。(敬称略)