王位継承物語

オランダの女王3代 生前退位が「慣例化」した国 関東学院大教授・君塚直隆

ベアトリックス女王夫妻主催の歓迎晩餐(ばんさん)会。お言葉を述べられる天皇陛下と、ベアトリックス女王(右)=2000年5月、オランダ
ベアトリックス女王夫妻主催の歓迎晩餐(ばんさん)会。お言葉を述べられる天皇陛下と、ベアトリックス女王(右)=2000年5月、オランダ

 今からちょうど70年前の1948年9月、オランダのウィルヘルミナ女王が生前退位を表明した。父、ウィレム3世の死を受けて、わずか10歳で即位してから58年。親政を開始してからちょうど半世紀をむかえての退位であった。

 気むずかしい性格だった父王と異なり、摂政を務めた母の助言もあって、ウィルヘルミナは1890年の即位後早々に国中を回り、国民と親しく接した。こうした地道な活動のおかげで、第一次大戦後に社会主義が台頭するなかでも国民の大半が君主制を支持し、共和制運動などはほとんど活発化することがなかった。社会主義政党でさえ女王を支持する側に回った。

 その女王にとって最大の危機が訪れた。1940年5月10日、ナチス・ドイツ軍がオランダに侵攻を開始したのだ。13日には、女王は着の身着のままの姿でロンドンへと亡命した。長女ユリアナとその子供たちはより安全なカナダへと亡命させた。同じくロンドンに逃げてきた政府とともに、女王は孤軍奮闘を続けた。BBC(英国放送協会)のラジオを通じて故国の抵抗運動(レジスタンス)を勇気づけた。このラジオ放送を毎週楽しみにしていたのが、『アンネの日記』で有名な、かのアンネ・フランクだった。

 45年5月に連合軍により祖国が解放されるや、女王は「凱旋(がいせん)将軍」のごとく帰国した。しかし亡命中のストレスに加え、もともと質実剛健で地味な生活を好んだ女王は、盛大な勝利のパレードを望んだ国民の多くとは「世代間の違い」を感じるようになっていた。戦後処理にもひと区切りついたその3年後、彼女はユリアナに譲位したのである。

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