「そら、ちょっとおかしいな。太っさん、何か情報を得たんやろ。分かった。こっちで探りを入れてみる」
中西監督の後任問題で小津社長や阪神電鉄本社上層部を追いかけるため、名古屋遠征には同行せず、大阪に残っていた左方キャップの声が弾んだ。
「龍一、ええ情報や」。久しぶりにキャップに褒(ほ)められ、電話口で一礼してしまった。
9月30日、ナゴヤ球場で予定されていた中日23回戦が、雨のため中止になった。午後2時、名古屋市内の選手宿舎「ライオンズホテル」の1階コーヒーラウンジに、中西監督が部屋からブラリと下りてきた。
いつもなら、鬱陶(うっとう)しそうな表情で通り過ぎていくのだが、この日は珍しくニッコリ笑いながら虎番記者たちが溜(た)まっているそばまでやってきた。
「もう、君らの顔を見るのもあとわずかやのう。なんやかやと書かれて紙面をにぎわしたが、それもあとちょっとの辛抱や」
〈なんや、皮肉言いに来たんかいな〉
――監督、ちょっと座って、話していきませんか?と声をかけると、意外にも「そうやなぁ」と輪の中に入ってきた。
「選手は本当によく頑張っていると思う。けど、阪神の場合は優勝しなければいけないというファンに対しての宿命があるんや。それが達成できんかったんやから、監督として責任はとらないかん」
これまで、個々には聞いていたが、多くの虎番たちを前にして初めて語る公式の「辞意」表明だった。その表情は吹っ切れたかのようにサバサバとしていた。
「何年かたって、選手がワシの教えたことを思い出してくれれば、それでええんや」
左方キャップが「そら何かあるな」と直感したのは、この一部始終を報告した直後だった。「直感」とはもちろん、新監督の決定の動きである。
10月1日、大阪・梅田の電鉄本社玄関前には朝から8人の虎番が張り込んでいた。人数が少ないのは各社それぞれ、他の場所にも分担して取材をかけているという証拠だった。電鉄本社3階には田中オーナー(本社社長)や小津球団社長(本社専務)の執務室があった。午後5時過ぎ、小津社長が出てきた。
「皆さんの顔ばかりを見ていると食事が不味(まず)くなるんでね、今日は可愛(かわい)い孫の家へ行って、美味(おい)しいご飯を食べるよ」
小津社長が乗り込み、走り始めた黒塗りの日産「プレジデント」。そのあとを、新聞社の社旗を立てたハイヤーが一斉に追いかけた。真夜中になって編集局に左方キャップからのニュースが飛び込んできた。
『新監督に安藤統男(もとお)決定!』(敬称略)