虎番疾風録

西本監督に「猛虎再建」を託したい 其の一25

勇退会見する近鉄・西本監督。ちょっぴり寂しそうな表情だ
勇退会見する近鉄・西本監督。ちょっぴり寂しそうな表情だ

虎番疾風録 其の一24

平本先輩の予想は見事に的中した。9月28日、近鉄は佐伯オーナーの帰国を待たずに、西本監督の慰留を断念。「やむなし」という上山善紀電鉄本社社長の談話を発表した。

「これがよそのユニホームを着るというのなら、無理をいってでも引き留めます。でも、胃が悪いという健康上の問題では、引き留められない」

球団は早速、後任監督の人選に入った。午後4時過ぎ、奈良市あやめ池湖畔に立地する料亭「あやめ館」に、山崎球団代表や米山社員後援会長(本社業務局長)ら首脳が集結。7時間にも及ぶ話し合いが行われた。その席上で披露されたのが、西本監督が後任監督に推薦した「7人衆」だった。

外部招聘(しょうへい)として広岡達朗、野村克也、吉田義男。OBおよび内部昇格として仰木彬、岡本伊三美、関口清治、山本一義の7人である。この中から球団は広岡に打診したが、すでに西武との話が進んでおり、近鉄入りには消極的。内部昇格の線で検討が進んだ。

〈村山さんか吉田さんしか名前の挙がってこない阪神とは大違いや〉

中西監督の後任として、広岡やOBしか見えていない阪神の電鉄本社や球団首脳陣の頭の中に、「西本」の名前はほとんどなかったといっていいだろう。

「闘将」「名将」「悲運の将」といわれた西本幸雄。昭和55年に現役を引退し、この年からサンケイスポーツの専属評論家になっていた野村克也は、そんな西本監督をこう評した。

「野球を愛し、選手を愛しながら、その厳しさには他に類がない。ときどきは鉄拳も飛んだと聞くが、近鉄ナインはそんな西本さんを、親しみをこめておっさんと呼んでいた。かつて鍛えられた阪急ナインも、いまだに藤井寺のおっさんと尊敬の念と親愛の情を込めて呼んでいる。それこそが西本さんの真骨頂(しんこっちょう)だろう。怒る監督が多い中で、本当に叱れる監督だった」

〈なんで阪神は西本さんを獲りにいかんのですか? 大洋は無理と分かっていても、必死になって長嶋さんにラブコールを送ってるのに〉その歯痒さは、平本先輩も同じだった。

「阪神が今以上に強くなり、巨人と優勝を争うチームになることを基準に考えたら、周囲の雑音に惑わされず、しかも厳しく、まとまりのあるチームを作れるのは西本さんしかない。わしは西本さんが阪急の監督をやめたとき(48年)から、阪神の再建にはこの人しかおらん―と提言してきたんやが…。目の前のことしか見えとらんのやろう。阪神首脳がその時はダメでも、誠意を尽くし、コツコツと関係を深めていってたら」

西本に阪神の再建を託したい―という思いは、当時の阪神ファンすべての願いだったかもしれない。阪神が西本招聘に動くのは、59年のオフ、この時からまだ3年も先の話である。(敬称略)

虎番疾風録 其の一26

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