大阪・茨木市安威の竹やぶに囲まれた農家風の家に、富士正晴(ふじ・まさはる)は38歳のとき引っ越した。以来、73歳で亡くなるまで35年をここで過ごした。
とりわけ、50代半ばはこの竹やぶにひきこもる日々が続く。
といっても、世間と断絶したわけではない。「VIKING」( http://viking1947.com/ )は変わらず続けて仲間はひきもきらず訪ねてきたし、その後も多彩な執筆活動も続けている。
芸人ものも数多く手掛けた。ひょんなことから桂春団治について書くことになり、以後上方芸人への聞き書きなどの仕事が広がる。とりわけ桂春団治については、綿密な戸籍調べから弟子など関係者らへの聞き取りを続け、奇行が多く伝説の多い天才落語家の進取の気質や弟子をいたわる優しさなどを掘り下げて大作「桂春団治」にまとめあげた。これは昭和43年、毎日出版文化賞を受賞している。
ジャーナリズムの仕事も多かった富士の面目躍如か。一方、書斎から観察した自然や自己を戯画化したエッセーなども書いた。竹林にこもっていても、世間は見えるのだ。
「悟りなどを開こうと思って坐っているわけではない。あぐらであって、座禅ではない」(『坐っている』)
自分が求める文学とは何か。
「わたしの戦後」にそのヒントがユニークな表現で語られている。
戦前、富士はフランス文学を好んで読んだ。文学上の師匠、竹内勝太郎はフランス遊学の経験があり、マラルメ、ヴァレリーの影響を受けた詩人だからその影響もあったかもしれないが、戦後はアメリカ文学を多く読むようになったという。
ところが「アメリカ文学に出て来る人間はどうもフランス文学に出て来る人間より、背が高いみたいに見える(肉体的にである)ということを感じ、次にイギリス文学をよみはじめ、その一種の鈍重さ、一種不透明なところに魅せられた」という。
富士が昭和24(1949)年に発表した初めての小説「小ヴィヨン」は、イギリスの小説家ヴァージニア・ウルフの作品「オーランド」を読んで刺激され一気に書きあげたものだ。
「オーランド」は性も時代も超えた詩人の伝記風小説だが、「小ヴィヨン」は「VIKING」の同人でもあった美貌の少年・斎田昭吉をモデルにし、敗戦後の闇市に出没する不良少年らが描かれている。
イギリス文学はちょっと不透明、そこに魅力を感じると富士はいう。
「うまく言えるとは思えないが、思想の電気の良導体みたいなものから、ところどころ電気を通さぬところのあるような不純度の高いごろりとしたものに魅力を感じるようになって来たといってもいい」