虎番疾風録

「絶対に辞めるはず」の中西監督続投決定…教訓「阪神は同じ歴史を繰り返す」 其の一16

昭和52年、吉田監督(右から2人目)の退団会見。手前が当時、代行だった田中オーナー
昭和52年、吉田監督(右から2人目)の退団会見。手前が当時、代行だった田中オーナー

虎番疾風録 其の一15

「中西監督は絶対に辞めます」と編集局で豪語していただけに続投決定のショックは大きかった。〈あれだけ人をホロリとさせといて…〉人間不信になりそうだった。

「ええ勉強になったやろ。けどな、タイガースは、昔からこうなんや」と平本先輩が慰めてくれた。

「好きだとか可哀想だとか、まるでファン感覚。監督の才能や責任を問う前に、心の方が先に出る。人情味のある球団といえば、聞こえはいいが、チームを強くすることと私的感情とは別物。そう、吉田さんが辞めたときにも、同じニュアンスの言葉を聞いたなぁ」

昭和52年、第1次吉田政権の3年目。阪神は前年の2位から4位に転落した。55勝63敗12分け。チーム本塁打は184本で2年連続のセ・リーグ1位となったものの、防御率4・38はリーグ4位。それでも球団は吉田義男監督の留任を決定し発表した。

だが、この決定にマスコミが反発した。単に成績不振の責任を追及したのではない。当時、吉田監督の側には腹心といわれた辻佳紀ヘッドコーチがいた。ところが、田淵の処遇をめぐって意見が対立。「一心同体」といわれた辻コーチを解任したのである。吉田監督のコーチのクビのすげ替えはこの一件だけではなかった。投手コーチの小山正明を皆川睦雄に代え、守備コーチも安藤統男から一枝修平に。自分が連れて来たコーチをコロコロと代えてしまう、そんな吉田監督に「信なし」とスポーツ各紙が一斉に叩いたのだ。

「吉田監督では勝てない」という論調は世論となった。そして11月2日、ついに球団は吉田監督の「解任」を決定。大阪・梅田の球団事務所で発表した。

「私としては吉田監督にまだやってもらいたい。が、情勢には勝てず、断腸の思いで、ここは引いていただくことにした。今後、私が球団に関与し、その機会が巡ってくるのなら、吉田君にもう一度、采配を振るうチャンスを与えたい」

殺到する報道陣を前に、口元を小刻みに震わせながらこう語ったのが、当時オーナー代行だった田中隆三だった。

さて、そろそろ時間を56年に戻そう。「阪神は同じ歴史を繰り返す」。これが1年前の中西辞任騒動で新米記者が得た貴重な教訓だった。

2度目の辞任騒動。さすがの田中オーナーも今度ばかりは沈黙。中西擁護に回ることはなかった。シーズン終了を待って中西監督退団―は既成の事実となった。だが、小津球団社長の後任監督の人選は遅々として進んでいなかった。そのうち阪神OBたちが動き出した。村山実を推すグループと吉田義男の再出馬を支持するグループとが『OB監督待望論』を展開し始めたのである。(敬称略)

虎番疾風録 其の一17

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