虎番疾風録

急転、中西監督留任 オーナーの鶴の一言 其の一15

【虎番疾風録(15)】急転、中西監督留任 オーナーの鶴の一言
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虎番疾風録 其の一14

何かがおかしいぞ。平本先輩の予想通り、事態は急変していた。

2日後の昭和56年10月16日、甲子園球場で小津社長と中西監督の2度目の話し合いが始まったときには、すでに「中西続投」が決まっていた。プレスルームに詰めかけた報道陣にも〈あの辞任騒動は何やったんや〉という白けた空気が漂っていた。会談後、記者会見した小津社長の話も訳が分からない。

「不振の責任はすべて私が至らなかったことで、監督の責任ではない。このままでは監督の男が廃(すた)る。いろいろ問題もあるが、もう一度やって男になってほしい―と翻意を促したところ、分かってくれた」

成績不振の責任を監督が取らない―という前代未聞の珍事。任侠(にんきょう)の世界でもあるまいし、「男が廃(すた)る」うんぬんはお話にもならない。なぜ、こんな事態に陥ったのか、図式はこうだ。

中西監督の辞意表明で始まったこの騒動、小津社長としては、表面上、引き留めはしたが、中西の監督としての力量、資質に疑問を感じていた。そこで慰留する一方で新監督の人選に入った。ところが、この動きに中西と同郷(香川県)の田中隆三オーナーが「彼一人の責任にするのはおかしい」と待ったをかけたのである。

中西をクビにするのなら君も責任を取りなさい。思いも寄らぬオーナー指令に小津社長は追い込まれた。そして、不本意ながらも中西を「不振の責任をとって辞めるというのなら、私も辞める」と説得したのである。

「監督続投」が発表されたこの日、大阪・梅田の電鉄本社前では、記者たちに囲まれた田中オーナーが会心の笑みを浮かべていた。

「本当に良かった。今年はいくら努力しても彼自身のチーム造りができなかったのだから、気の毒だった。これからは完全な中西構想の下でやらせたい」

――大変な力の入れようですね

「彼とは同じ故郷の人間であり、大変、親近感がある。彼が初めて甲子園に出場した当時からよく知っているんだ。あれだけ傷ついたら見ておれんじゃないか」

――小津社長の責任は

「当然、ありますよ。責任者ですからね」

〈これがプロ野球の舞台裏?〉当時24歳の新米虎番記者には、訳が分からぬことばかりだった。それでも、会見に出てきた中西監督には「なぜ、辞意を撤回したんですか!」と詰め寄った。

「オーナーの好意が非常なものだったので、断り切れなかった。それに小津社長が責任はすべて社長にあると認めたからだ」

――健康上の不安があると言ってたではないですか

「まぁ、それは何というか…。采配を振るうのにもう影響はないよ」

もう、開いた口が塞がらなかった。(敬称略)

虎番疾風録 其の一16

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