虎番疾風録

新米記者に飛び込んできた中西監督「辞任劇」 其の一12

【虎番疾風録(12)】新米記者に飛び込んできた中西監督「辞任劇」
【虎番疾風録(12)】新米記者に飛び込んできた中西監督「辞任劇」
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虎番疾風録 其の一11

9月2日のサンケイスポーツ1面には、中西監督の心の葛藤と『辞任決意』のスクープが載った。だが、左方キャップや「殿」平本先輩の顔には、笑みはなかった。この記事を境に虎番記者たちは、後任の監督問題などストーブリーグの真っただ中へ突入するからだ。

「龍一、寝てられへんぞ」という左方の言葉通り、寝ているひまはなかった。ペナントレースでは巨人に大きく後れをとっていた阪神だが、グラウンドではベテラン藤田平が一人奮戦していた。9月19日の時点で藤田の打率は3割5分5厘で1位。2位大杉勝男(ヤクルト)3割4分1厘、3位篠塚和典(巨人)3割4分―と激烈な首位打者争いを演じていたのである。

朝から小津球団社長や電鉄本社首脳を追いかけ、夜はナイターで打球を追いかける。そんな日々の中で、ちょうど1年前に起こった「監督騒動」を思い出していた。虎番になって初めて経験する本格的なストーブリーグだった。

昭和55年、5月に退団したブレイザー監督のあとを受け、監督に就任した中西は、シーズン終盤の10月11日に突然「辞任」を表明した。

その日、大阪市内の某所で、岡崎義人球団代表と来季のコーチ陣や外国人選手の処遇など「留任」を前提とした話し合いが行われる予定だった。ところが、冒頭で中西監督が「成績不振の責任を取って辞めたい」と申し出たのである。もちろん、岡崎代表は慰留に努めた。だが、中西監督の決意は固く翻意しない。

「勝てなかったという責任は取らねばならない。逃げるつもりはない。代表から『小津社長が会いたい』という話を聞いたが、今は会えない。申し訳なくて、会うのがつらいんや」

とりあえず結論は「保留」ということでこの日は収まった。だが、虎番記者はそうはいかない。突然、始まった「監督騒動」に担当1年目の新米記者にも特別指令が飛んできた。

「今から太っさんを徹底マークや。四六時中そばに付いとれ。ええか、巻かれるなよ」。大役に身が引き締まった。

夜中になって出張中だった小津球団社長の談話が入ってきた。「健康上の問題ならともかく、他の理由なら残ってもらう」と、予想通り慰留の構え。翌12日の1面には『中西辞任表明』の大見出しが躍った。そして13日の紙面には早くも『中西退団へ』と打ち、脇見だしは「後任第1候補は広岡氏」―。

(1)監督の話しぶりから見て辞任の決意は相当に固い(2)球団内部には、中西の監督としての資質を疑問視する声もあり、慰留は強くない(3)在野に後任候補の広岡がいる―という判断からだった。(敬称略)

虎番疾風録 其の一13

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