例えば、「帝国軍隊に於ける学習・序」では、役所勤めの30代の主人公(富士)がさまざまの訓練をへて召集されるまでの日々がひょうひょうとした筆致でつづられる。
大学出の富士は幹部候補生として志願するよう求められるが応じない。訓練を通じて自分にはとてもその資格がないことを知り、一兵卒として生きる方があきらめがつくと達観するまでがここでは描かれる。
その後の戦場体験は徹底して、その「一兵卒の目」でつづられる。むきだしの暴力や狂気が吹き荒れる日々。若き伍長が古兵の策略で現地の女性をあてがわれて錯乱する「童貞」、ビンタをくらい、ぐうたら兵士を決め込む毎日の中で隠し持った地図でひそかに自分の生を確認する「一夜の宿」。
「私は軍人を勇ましいものに感じたことがほとんどない。いじめしている兵隊たちが何やら被害者めいて物悲しく感じたことの方が多い。しかし、それを悲しいものと表現するような気分でもなく、ただ目をみはって、事実を事実としてながめ、その見たところをはっきり書き残しておこうというだけのことだ」(昭和44年『戦争小説-私の場合』)
そこにはヒロイズムも悲壮感も反戦思想もない。一種の透徹した諦観がある。それを富士は中国大陸で学んだという。
「戦争で華中、華南を歩いて、わたしは中国の広さと自然の美しさにおどろき、兵卒の生活から一種の巧まぬ忍耐をおぼえ、また中国の自然と、苦力として連れてこられた農民たちとから、中国の人間の底にあるのは徹底したニヒリズムで、それが彼らを生かせているのではあるまいかということを感じた」(『わたしの戦後』)