若菜騒動はわずか1日で収束した。とはいうものの、江本のトレードを示唆した鈴木セ・リーグ会長に対し「第二、第三の江本を出さないためにも、阪神は球界の秩序を守る!」と反発していた小津球団社長は、ほれ、言わんこっちゃないという顔をしている。だが、どこかが変だった。
たしかに、騒動が起こってから江本の周りでは、早い引退を惜しむ声が起こった。広島や南海、日本ハムなど数球団が獲得に名乗りを上げ、南海時代からの僚友・門田博光も「アイツのことやから、どうせ来年もどこかのユニホームを着とるよ。オレとのトレード? あるかもしれんなぁ」と笑っていた。
けれど、江本自身が「野球を続けたい」と言ったことは一度もなかった。
退団数日後に電話を入れた西武の田淵幸一は「『まだ、何をするか決めていない』と沈んでたから、2人で漫才でもやるか?と冗談を言ったら、初めて笑ってくれたよ」と自分のことのように心配していた。
筆者が大阪・豊中市の自宅を訪ねたときも「これからいろんな人と会って話もしたい。その中でやれるものがあればやりたい。だけど、野球人の江本は死んだんやから、しばらくは喪に服するつもりや」とあきれるほどサバサバしていた。
〈エモさんは、ほんまにトレードを望んでるんやろか〉
ドラマ的には「江本の去就やいかに」と来るのだろう。だが「江本騒動」は突然、幕が下りた。9月7日、東京都内で記者会見を開いた江本が、野球との「決別」を宣言したのである。
「いろいろとボクのことを気遣ってくれた人には本当に申し訳ないんですが、つい先日、野球道具をすべて処分しました。再び野球はしません」
――獲得を名乗り出てる球団もあるのに
「もちろん、いろいろ考えました。でも、日がたつにつれて野球をやることに興味がなくなったんです。情熱がなくなったとでもいうんでしょうか。身の回りを片付けて、残ったのはギター1本だったです」
そして2日後の9日、大阪・梅田の球団事務所で、岡崎義人球団代表立ち会いで、任意引退にともなう手続きを完了した。
〈消えた情熱? ほんまやろか〉その疑問はそれ以後、ずっと心の片隅で引っかかっていた。そして騒動から37年たったことし、70歳になった江本に尋ねた。「あのときは格好つけたんですか?」と―。
「アホ、ほんまに、糸が切れたんや。何の未練もなかった。ドラフト外でプロ野球の世界に飛び込んで、1勝することが目標やった。それが113勝もできた。十分やったよ。騒動の後悔? そんなもんあるかい。悔いなしの野球人生や」
江本の言葉が、心地よく胸に響いた。(敬称略)