「感情より企業的に考慮しなさい」という鈴木セ・リーグ会長のトレード示唆。スポーツ各紙は8月29日の朝刊1面で大々的に報じた。これには阪神・小津球団社長もへそを曲げた。
「世の中には原理原則というものがある。第二、第三の江本を出さないためにも、阪神は球界の秩序を守る!」
企業的に考慮? 余計なお世話だ!といわんばかり。大阪・梅田の球団事務所で記者たちに囲まれた小津社長は興奮気味に語った。
たしかに「辞めたい」と言い出したのは江本の方から。渡りに船―と、さしたる慰留もせずに処理した負い目が球団にはある。とはいうものの、球界も世論も「江本擁護」論ばかりで、阪神は悪者扱い。
「社長も痛いところを突かれたようですね」。〈ちょっといい気味や〉と左方キャップに話しかけると「お前は、何もわかっとらへんな」と逆に叱られてしまった。先輩によると小津社長は、「記事にしない」という約束で前日の夜、こんな話していた。
「どこからか(トレードの)話があれば、その時は考えてやるつもりや。彼は6年間もウチにいた選手だし、その辺は考えてやらんとな」と功労金を支払う用意のあることも明らかにしていたのだ。
「小津さんは温かい人なんや。その話は電話で会長にもしていたはず。それを、さも自分の発想のように、大好きな新聞を使って…。小津さんは鈴木さんのやり方にカチンと来たんや」
〈物事の表だけを見てたらアカン〉またひとつ勉強になった。
翌日のこと。心配していた第二の江本が現れた。若菜嘉晴が遠征先の東京で「オレも辞めたい」と発言。スポーツ紙の1面を飾ったのだ。30日午後2時から東京遠征の選手宿舎の「サテライトホテル後楽園」で緊急会見が始まった。だが、報道陣の前に出てきた若菜は憔悴しきっていた。
「あんなに大きく書かれるなんて思ってもみなかった。オレは別に会社と喧嘩するつもりはないのに…。たしかに野球をやめたい気持ちになったのは事実だけど」
この頃の若菜は心が塞いでいた。ライオンズ時代と違い、阪神に移籍してからは、ファンの風当たりもきつい。試合でミスをすると昼夜を問わず自宅にファンからの嫌がらせの電話がかり、家族もノイローゼ気味になっていた。ベスト体重78キロが5月には70キロを切り、そして右手首の亀裂骨折。悶々とする中で、江本の突然の退団劇。若菜も大きなショックを受けていたのである。
「オレには野球しかない。野球が好きだし、辞められない。それに辞める辞めないは球団が決めること。オレはそんな大それた選手じゃないし…」。若菜は消え入るような声で頭を下げた。(敬称略)